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高梨沙羅らの魅力を伝えた小冊子「美翔女」 元選手の編集長が語る10年間と休刊の理由

山田いずみさんは女子ジャンプの短編映画製作に着手した
山田いずみさんは女子ジャンプの短編映画製作に着手した

山田いずみさんは女子ジャンプの短編映画製作に着手した

 発行を重ねるうちに、選手たちからも反応がダイレクトに返ってきた。

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「もう毎回楽しみにしてくれて、次は誰出るんですか、次は誰出るんですかという感じでした」

 おしゃれな写真とデザインは注目を集め、そんなふうに掲載することが、女子ジャンプのイメージアップにつながると実感できる仕上がりだった。

 中には、自身の掲載写真が載った『美翔女』を活用し、所属会社に置いたり、スポンサー探しをする女子選手もいた。「選手が自分をアピールするツールとして使ってくれるようになった。ほかにも、冊子に出ている子は基本的にはナショナルチームの選手だったんですが、続けていくうちに『私も美翔女に出たい』という小さな子たちが増えてくれました」と、すべての女子ジャンパーにとって憧れの小冊子だった。

 ジャンプファンの裾野を広げるために、山田さんは講演やイベントも行った。日本ハム時代の大谷翔平との対談企画を掲載したこともある。発行が軌道に乗ると、グッズも作り、売り上げの一部を選手育成基金として選手へ渡すなど、側面からもサポートした。

 ライターの経験はなかったが、「選手時代からブログはやっていたので、書くことは嫌いではなかったです」と編集に抵抗はなかったという山田さん。だが、すべてが順調だったわけではない。特に苦労したのは広告集めだ。

「1冊目は本当に手弁当でやったのですが、継続しないと意味がないなという思いがあったので、2冊目からは広告を掲載してもらえる企業さんを募っていました」

 フリー冊子だけに、協賛企業からの広告費は『美翔女』を発行し続ける上での生命線だった。

「一番大変だったのは金銭的な部分ですかね。広告をもらうのも大変でしたし、デザイン会社さんへのデザイン費の支払いなど……広告が思うように集まらない号の時は、ちょっと額を下げていただいたりっていうことも、本当に申し訳ないのですがありましたね」

 編集長の仕事は、多岐にわたった。冊子を置いてもらうために自ら営業活動。「冊子に載せるテーマを何にするかを考えることもそうですが、撮影も一緒に帯同していましたし、文章を書いて編集作業もやったり、デザインを出してもらってそれを決めたりと、ほぼ全部ですね」と苦笑した。

 上手くいった時もそうでない時もあったが、協力企業には頭の下がる思いが常にあった。

「広告としての本当の意義みたいなものはほぼないので、純粋にスキージャンプを応援してくださる気持ちだけだったと思う。たぶん掲載してくださったところは、みんなそういう温かい気持ちで掲載してくださっていたと思います」

 発行部数は約1万部。北海道以外にもスキージャンプ場や、スポーツ店などを中心に設置場所を増やした。

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山田いずみ


1978年8月28日、北海道・札幌市出身。日本における女子スキージャンプのパイオニア。小学校1年生でジャンプを始める。2008年コンチネンタルカップ優勝。09年第1回世界選手権25位。全日本選手権は優勝5回。2013年に全日本スキー連盟のコーチに就任。ソチ、平昌と2度の五輪で高梨沙羅のパーソナルコーチも務めた。
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