【#キミとONETEAM】「食堂で見たポスター1枚で僕の人生は変わった」―タッチラグビー日本代表・奈良秀明
「衝撃を受けたのはフィリピン」―世界24か国を旅して気づいたこと
1年生の12月にはもう日本代表の遠征に行くことができました。4月から始めて、あっという間に日の丸を背負ったんです。3年生だった05年に初めてW杯に出場し、以降5大会連続でW杯を戦い、昨年の19年大会では3位に入って銅メダルを獲得することができました。37歳になったいまも選手を続ける一方、「町田ゼルビア」というクラブで小中学生にタッチラグビーを指導しています。
僕にとって、タッチラグビーは僕そのもの。あのポスター1枚との出会いが、僕の人生を変えてくれました。人間としてもそう。野球を続けていたら、世界各国に友達がいるなんてありえなかった。だから、挑戦して良かったと本当に思っています。
そんな中で昨年はラグビーW杯が行われ、すごい盛り上がりでした。うちのスクールにもラグビーを始めるきっかけに入った子もいて、影響力はすごいなと感じました。しかし、いまは新型コロナウイルスの影響で自粛中。活動ができません。
でも、これはラグビーだけでなく、世界全体の話であるし、この期間はプラスにもなると思っています。我慢することで、やがてスポーツに「GO」が出たときに生まれる充実感やワクワク感は、いままでのラグビーをやってきた人が体験できなかったものを味わえる。みんな、ぐーっと力を溜めている期間。だから、僕はポジティブに考えています。
いまの子どもたちのように、僕にも苦しい時期がありました。これほど夢中になったことがなかったタッチラグビーを楽しめなくなった時期があり、このままじゃダメになると思い、30歳のとき、日本を飛び出して世界を旅したんです。世界を回りながらタッチラグビーをやったら、楽しめるようになるんじゃないかと、ふと思ったんです。
アジア、オセアニア、ヨーロッパで24か国を回ったことが人生に大きく影響しました。特に、衝撃を受けたのはフィリピンにいたとき。家とは言えないような家の集落で、子どもたちがお互いに石を勢い良く投げ合っていたんです。遊ぶものがないから、石を投げるくらいしかない。それを見たとき、日本はいかに恵まれているかと感じました。
野球、サッカーなどスポーツが当たり前のようにできる、それ自体が恵まれている。だからといって、こういう子どもたちがいるから、僕たちがスポーツを楽しんだらいけないかというと、そうじゃない。恵まれている環境に感謝した方がいいということに気づかせてもらいました。
海外ではタッチラグビーの指導もしていました。教えていると、英語が通じないときでもみんな笑顔になってくれて、僕が人のためにできることがあると感じ、人のためになれることを仕事としてやっちゃいけない理由はないと思いました。この旅で得た経験が大きく、帰国後の15年からスクールを作り、タッチラグビーで生きていこうと決めました。
ポスター1枚で競技を始めたことも、苦しいときに世界を回ったことも「一歩、踏み出したこと」がきっかけで人生が変わりました。僕は苦しいときほど一歩、踏み出すことを大切に思っている。その一歩はどんな一歩でもいい。そのとき思ってほしいのは世界にキミという人間は一人しかいない。どんな一歩でもキミでしか踏み出せない一歩だと、自分を信じてほしいということ。
誰かと一緒である必要はないし、誰かと一緒になることは絶対ない。自分の中で大きかろうと小さかろうといいので一歩、踏み出すことを大切にしてほしい。これは世界を旅して、いろんな国や人と出会い、思ったことです。やがてコロナが落ち着けば、スポーツを全力でできる日がやってきます。そのときは何かに一歩踏み出し、自分が輝ける瞬間を見つけ出してほしいと思います。