「なぜ日本人?」の空気を実感 セルビア代表の喜熨斗勝史コーチ、選手指導で大切にすることは?
セルビア代表を指導する上で助けになった日本人選手の存在
そして2021年、ピクシーから「俺のところに戻って来い」とセルビア代表の話を初めてもらった時は、驚きや嬉しさと同時に不安も感じたが、「YES」と言う以外の選択肢はなかった。世界的なスーパースターであるピクシーから「来いと言われる日本人はおまえだけだ」と言われたら、どんなにリスクがあっても「NO」と言うわけがない。
もっともJリーグと中国で活動をしてきた自分にとって、欧州の代表チームで、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)に出場するような強豪クラブでプレーする選手たちを指導するというのは、それこそ宇宙に行くような感覚。未知なる世界の中で、自分が日本人だろうと元代表選手ではなかろうとも、コーチとしてやらなければいけないことをやるだけだった。これは1997年に、中田英寿らがいたベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)で初めてトップチームのコーチになった時、当時の植木繁晴監督から「お前がやらなければいけないことをやり、良ければみんながついてくる。ダメだったらついてこない。それだけの話だから」と言われた時と同じ心境だった。
とはいえ、セルビア代表の選手たちからは最初、「なんで日本人がトレーニングをリードしているの?」「俺らが日本人の言うことを聞かなきゃいけないの?」といった雰囲気は感じたし、コーチ陣の中にもピクシーが連れてきた人間とはいえ、快く思っていない部分もあったはず。そこで助けになったのが、欧州でプレーする日本人選手の存在だった。
ドゥシャン・タディッチ(アヤックス)はサウサンプトン時代に吉田麻也とチームメートで、フィリップ・コスティッチ(ユベントス)やルカ・ヨビッチ(フィオレンティーナ)はフランクフルトで長谷部誠と一緒にプレーしていた。DFのステファン・ミトロビッチ(ヘタフェ)もストラスブールで川島永嗣と3シーズンともに戦うなど、僕が日本で指導してきた選手との繋がりがあった。僕がセルビア代表チームに溶け込む上で、彼らの言葉が後押しになったことは間違いない。
そして僕にとって幸運だったのは、2021年3月の就任直後に行われたW杯欧州予選の3連戦で1回も負けなかったこと。初戦でアイルランドに3-2で勝ち、2戦目で同グループ最強のポルトガルと2-2で引き分け、3戦目でアゼルバイジャンに2-1で勝ち、3試合で勝ち点7(2勝1分)を取れたことで、選手も「とりあえずついていこうか」と思ってくれて、そのまま予選を走り切ることができた。
欧州のサッカーコーチには、結果は必須。特に外国人として働くからには、頑張っているだけでは全く評価されない。反対に結果が出ても、彼らは内容や過程も重視するので、セルビア人ができないことを見せる必要がある。これは、選手もコーチも同じなのだ。
欧州予選最後の試合、アウェーでポルトガルに2-1と勝ち、グループ1位でW杯出場を決めた。セルビア代表の歓喜の輪がピッチ上で広がり、そこに唯一の日本人として加わる。この時、僕は初めて「コーチとして認められ、仲間になれた」と感じた。
セルビア代表で指導するようになり、まず驚かされたのは、選手のコーチに対する要求の水準がものすごく高いこと。「コーチに教えてもらう」というより、「自分の技術や能力が高まる場を提供してほしい」というスタンス。僕はプロ選手でもなく、もちろんW杯だって出たことがない。それでもCLを戦うようなレベルの選手たちの、技術や能力が高まるような練習メニューを作らなくてはいけない。
彼らは多くの日本人選手のように受け身で聞くのではなく、こちらから難しいお題を出し、やらせることに対して喜びを感じるところがある。喜熨斗というコーチは自分にどんな指導をしてくれるのかと、常に試されている空気を感じる。