日本スポーツ界が断ち切るべき“負の連鎖” 選手を追い込む「勝利至上主義」と美談
現場の指導者が勝利至上主義に走れば、選手の未来が犠牲になる
先日行われた全日本実業団対抗女子駅伝の予選会で、脛骨を骨折したランナーが四つん這いになりながらタスキを渡した。だがこういうケースは今回が初めてではなく、過去に箱根駅伝などでも脱水症状で意識を失った選手がレースを続けようとして、そのたびに多くのメディアは美談として扱ってきた。
サッカーやラグビーなどボールを使う団体競技では交代が認められるようになったが、依然として駅伝には途中交代のルールがない。走り出した選手にアクシデントがあっても、チームメイトのために多大な責任を背負い込むから、自分の選手生命の危険を無視して走り抜こうとする。それを見て多くの沿道のファンも「頑張れ」と声をかけるのだ。
サッカーでも、とりわけ高体連の大会などでは、故障を押してでもプレーする傾向から脱却できていない。まして駅伝は、長距離やマラソンの強化が発祥の目的なのに、企業や学校が入れ込み過ぎて、目標へと変わってしまっている。
メディアに煽られた人気に後押しされ、現場の指導者が勝利至上主義に走り、選手たちの未来が犠牲になる――。そろそろ日本のスポーツ界も、このサイクルを断ち切るべき時期に来ているはずだ。
(文中敬称略)
(加部 究 / Kiwamu Kabe)