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「シュートのたびに吐き気が」― 日本屈指の名シューターがバスケを楽しめなかった理由

名シューターと呼ばれるようになってからも重圧と戦ってきた【写真:松橋晶子】
名シューターと呼ばれるようになってからも重圧と戦ってきた【写真:松橋晶子】

シュートを打つたびに吐き気と戦ってきた

 一方で常に苦しみとも向き合ってきた。努力家であり、また責任感も強い渡邉は、誰よりも練習に打ち込んできた。

「高校では全体練習が終わった後、10時くらいまで一人でシューティング練習をやっていた。1日3時間、3年間毎日ですね。最初は一人でしたが、周りもついてきてくれるようになった。自分でもよく練習はしていましたね。数も打ちましたが、その時によく使う動きをイメージしながら、試行錯誤しながらやっていました」

 日本バスケ界有数のシューターに成長した陰には、積み上げてきた努力の跡が確かにあった。だが一方で、渡邉にとってそれは大きなストレスにもなっていた。衝撃の過去をこう明かした。

「シュートの型が決まるまでに社会人になってから4、5年かかった。それまではシュートするたびに吐き気、イライラがあった。イメージ通りに打てない。入るけど、感覚が違う。NBAの選手だと10本中10本、イメージ通りのシュートを打てるが、当時の僕は(10本中)2、3本。本当にストレスが溜まりました」

 名シューターと呼ばれるようになっても、常に重圧と戦い続けていた。だがある時、急に肩の力が抜ける瞬間が来た。それはほんのわずかな、メンタル面の変化だった。

「個人の結果で表現したいという思いが強かったのが、26歳くらいの時、ふとした時に自分のためにじゃなくて、チームのためにと思うようになった。そうしたらふっとそういうの(ストレス)もなくなった。やっとですよね。自分の中でやっとプロになれたかなと。ルーキーの時は先輩に勝たせてもらって新人王とかも取ることができたが、途中勝てない時期があって、その時期に自分自身でもがいていた。自分のせいで負けたと思う試合もあった。だけど、そうじゃなかった。周りが見えるようになったと思います」

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