松井大輔が語る「谷間の世代」アテネの教訓と東京五輪 キーマンは「三笘薫選手」
パラグアイとはなぜか相性が悪い? オーバーエイジの存在とは
山本正邦監督は「アテネ経由ドイツ行き」という目標を掲げ、2004年のアテネ五輪から2006年のドイツワールドカップ(W杯)へ選手を輩出することを明確に口にしていました。そして同じポジションに3人ずつくらい候補選手を配し、競争意識を煽ることでチームを前進させるチーム作りを行いました。
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ただ、結果はご存じの通り、1勝2敗でグループリーグ敗退。初戦のパラグアイ戦で負けてしまったことでリズムに乗れなかったのですが、のちの南アフリカW杯も含めて僕たちの世代はパラグアイとの相性が悪い(苦笑)。結果的にパラグアイは準優勝で銀メダル、第2戦で対戦して2-3で負けてしまったイタリアは3位で銅メダルを獲得したわけで、レベルの高いグループだったという見方もできるかもしれません。
個人的な見解を裏表なく言っていいのならば、那須(大亮)をキャプテンにしたのが失敗だったと思います(笑)。僕は那須と高校の同級生なので彼の性格をよく知っていますし、アテネ五輪の大会期間中も同部屋でした。一緒に部屋にいて落ち着けていない雰囲気がこちらにも伝わってきたことを鮮明に覚えています。“キャプテン”という肩書きを与えられて責任や重圧がすごかったのでしょう。
僕はどんな状況でも気軽に物事を楽しむことを心がけるタイプだけど、当時の那須にはそういった余裕がありませんでした。案の定、パラグアイ戦で良いパフォーマンスを出せず、第2戦からはオーバーエイジの(小野)伸二くんがキャプテンマークをつけた。最初から伸二くんがやれば良かったのに、と今でも思います(笑)
誤解してほしくないのですが、決して那須を批判しているわけではありません。アテネ五輪の経験が彼を強くして、その後のサッカー人生を豊かなものにしたのは経歴からも明らかです。時間を経て、同世代の選手たちで集まった時もみんなが笑い話にしているほどです(笑)。今はYouTuberとしてサッカー界の先駆者になっているわけだから、メンタルも強くなったのでしょう(笑)
今回はオーバーエイジの(吉田)麻也がキャプテンを務めると思うので心配ありません。アテネ五輪では伸二くんとソガさん(曽ヶ端準)がオーバーエイジとしてチームに加わったけど、伸二くんはフェイエノールト(オランダ)の一員として世界を相手に戦っていたこともあってオーラが違いました。イケイケの若者だった僕たちと比べて、伸二くんだけは成熟したサッカー選手だったんです。
A代表でも欧州でプレーしている選手が少ない時代で、伸二くんだけがいわゆる海外組という位置付け。練習の時からひとりだけ余裕を持ってプレーしているのが伝わってきて、サッカー選手にとって「自信」が重要なファクターであることを思い知らされました。その自信に満ち溢れているかどうかでサッカー選手のレベルが決まります。