フランスはなぜ柔道大国になったのか 普及の裏に一人の日本人…「これが柔道なのか」衝撃だった稽古初日
ベルギー代表監督、ヨーロッパ柔道連盟の技術顧問に就任
川石メソッドか安部の柔道か――。急速に市民権を得ていったのは、安部の柔道だった。
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「一時は川石さんも一緒にやろうよと動いたみたいなんですけど、安部先生は川石式柔道というのはやはり、正しい柔道ではないということで、それはお断りして、一緒にならないでトゥールーズでずっと指導していました」
南西部の小さな都市を起点に、安部を信奉する弟子が増えていく。
「この安部ファンが、のちにフランスアマチュア講道館柔道連合というのを、昭和29年(1954年)に興すわけなんですよね。フランスの中に本来あった(旧)フランス柔道連盟と2つの組織が生まれた。2つの組織があるのは良くないということで、フランス政府が仲介に入って一緒になれと言ったんです。一緒になったら運営費の補助をフランス政府から払おうと。そういう条件で一緒になって、今のフランス柔道連盟ができました」
一方で、安部を悩ませていたのは報酬額の低さだった。学生という身分もあり、質素な最低限の生活を送っていた。安部は弟子たちの計らいもあり、渡仏から2年後、ベルギー代表の監督に就任する。
「当時は柔道だけに限らず、スポーツをやっている人はそれなりの立場の人たちが多いですから。会計士の弟子や弁護士の弟子がいたりなんかして、その人たちが力を合わせて、安部さんにもうちょっといい待遇を与えたいということで、ベルギーのナショナルコーチになったらどうだという話になって、何倍ものお給料がもらえる待遇でベルギーのナショナルコーチになるんですね」
フランスとベルギーは隣国同士。安部はベルギーの柔道家を育成しながら、フランスを含めた欧州全体に日本の柔道を広めていった。
「ベルギーも当時は川石メソッドの指導だったんですけど、それは一切やめて、講道館式の指導法をベルギーで始めるわけなんですね。そうしたら、そういう指導のシステムとか安部先生の指導の素晴らしさがヨーロッパで評判になってですね、これはベルギーだけじゃなくてヨーロッパ全土を見てもらおうということで、今のヨーロッパ柔道連盟の技術顧問に就任したのです」