目前で消えた日本の金メダル「実力不足です」 絶望の男を救った仲間たち…悪夢から4年後の栄光へ【1994リレハンメル五輪】
連日、日本勢が活躍するミラノ・コルティナ五輪。1924年の第1回大会から数えて25回目となる冬季五輪では、過去に数々の名場面が生まれてきた。1994年のリレハンメル五輪では、ノルディックスキー・ジャンプ団体(ラージヒル)に出場した日本が、目前に迫っていた金メダルを逃すという悲劇が起きた。アンカーで飛んだ原田雅彦が大失敗ジャンプ。1998年長野五輪での金メダルにつながるストーリーの起点となった。

1994年リレハンメル五輪、スキージャンプ団体
連日、日本勢が活躍するミラノ・コルティナ五輪。1924年の第1回大会から数えて25回目となる冬季五輪では、過去に数々の名場面が生まれてきた。1994年のリレハンメル五輪では、ノルディックスキー・ジャンプ団体(ラージヒル)に出場した日本が、目前に迫っていた金メダルを逃すという悲劇が起きた。アンカーで飛んだ原田雅彦が大失敗ジャンプ。1998年長野五輪での金メダルにつながるストーリーの起点となった。
2月22日に行われた競技では、西方仁也、岡部孝信、葛西紀明の3人が完璧なジャンプを披露していた。2回目の3番手まで終え、2位ドイツに55.2点という圧倒的な差をつけていた。
アンカーを務めるのは、エースの原田雅彦。金メダルに必要だったのは、120メートルのK点にはるか及ばない105メートルだった。誰もが日本の勝利を疑わず、ドイツのアンカー、イェンス・バイスフロクがゲートへ向かう原田に思わず、祝福の声をかけたほどだった。
ただ原田のジャンプは大失敗。空中でもがきながら失速し、急斜面に着地した。飛距離はわずか97.5メートル。電光掲示板に日本の2位が表示されると、原田はスキーを着けたまま雪面にしゃがみ込み、顔を覆って立ち上がれなかった。
原田は「実力不足です」とうなだれた。金メダルを手にしたバイスフロクは「日本との差を逆転できるとは全く考えていなかった」と言い、ヘス監督も「良くて銅だと思っていた」。誰もが全く予想できない展開だった。
原田を救ったのは、チームメートの優しさだった。西方が「銀メダルですよ。すごいじゃないですか」と声をかけ、表彰式に日本の4人は、日の丸が染め抜かれた鉢巻姿で登場。「一番」に横線を一本足し「二番」と書き換えるユーモアを見せた。さらに台に上る際には、そろって一度つんのめるパフォーマンス。彼らの挑戦は、4年後の長野で奇跡の大逆転金メダルとして結実する。
(THE ANSWER編集部)
![[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト](https://the-ans.jp/wp-content/themes/the-answer-pc-v2/common/img/logo_c1.png)








