「私って、こういう運命なのか」 襲われた2度の試練、“パリ五輪絶望”の先に進んで2人で見た風景――バドミントン・福島由紀
試練続きだった競技人生で思う「スポーツの素晴らしさ、バドミントンを続けられる理由」
すべてが終わってから、廣田と特に深い話をしたわけではありません。お互いに「ありがとう」「ありがとうございました」と感謝を伝えて「頑張ったよね」と褒め合って。2013年からペアを組んでいるので、何も言わなくても分かることはたくさんあります。
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昔は2人で映画館に行ったり、ご飯を食べに出掛けたりしていました。でも、2017年に日本代表に入ってからは、試合や練習はもちろんのこと、遠征の移動も一緒で、部屋も2人部屋。ずっと同じ空間にいるんです。廣田は年齢が1つ下なので、私に気を遣ってしまう部分もあったと思いますが、いろいろな意味で良きパートナーでした。一心同体です。廣田がいなければ、私はここまで来ていません。もしかしたら途中でバドミントンをやめていたかもしれない。だから感謝の気持ちしかありませんし、両膝の前十字靭帯断裂というアクシデントに見舞われながらも戦い抜いた廣田は本当にすごいですし、尊敬しています。
パリ五輪レースが終わった後、5月に若手選手とペアを組んで出場した日本ランキングサーキット大会で2回戦負けした時は、めちゃくちゃ悔しかった。その時に気づきました。私、まだ悔しいんだ、って。
悔しさは自分を突き動かす大きな原動力です。遠い未来のことは分からないけれど、まだコートに立ち、プレーしたい。いつか試合に負けても悔しくなくなったら、それがラケットを置く時です。
五輪レースが終わってから少しオフをもらった時に、廣田と挑戦してきた日々を振り返ってみて、最後まで廣田と一緒に戦えて幸せだったなと思いました。バドミントンと出会っていなかったら、きっとこんな幸せな気持ちにはなれなかった。小学校3年生から20年以上もバドミントンにすべてを注いできたご褒美かもしれませんね。
五輪で金メダルという目標は叶えられませんでしたが、困難に直面した時に本当に多くの方が支えてくださいました。コートに立つのは2人ですが、いろいろな方の想いを背負って最後まで諦めずに戦い、与えられた環境でやりきることが多くの人の心を動かし、悩んでいる人の励みや後押しになるんだということに、パリ五輪を目指す戦いのなかであらためて気づかされました。
これがスポーツの素晴らしさであり、私がバドミントンを続けられる理由だと思っています。
(藤井雅彦 / Masahiko Fujii)