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「私って、こういう運命なのか」 襲われた2度の試練、“パリ五輪絶望”の先に進んで2人で見た風景――バドミントン・福島由紀

廣田彩花(左)の大怪我がありながら、福島は東京五輪の舞台に立った【写真:Getty Images】
廣田彩花(左)の大怪我がありながら、福島は東京五輪の舞台に立った【写真:Getty Images】

一番辛かったのは「一度は廣田が手術を決意した時」

 一番辛かったことは、廣田が怪我をした時よりも、一度は廣田が手術を決意した時です。もうパリ五輪出場に向けて挑戦すらできないのかと……。手術をすれば、試合には出場できなくなり、五輪レースのポイントの上積みができなくなる。つまり、それはパリ五輪への挑戦を断念することを意味します。でも、私は廣田を責めることはできませんでした。

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 実際に東京五輪の前に逆足の同じ怪我をしていて、それを経験した上で「今回は動けないと思います」と本人から怪我をした直後に言われたので、仕方ないなと思う気持ちと、もうパリ五輪には出られないんだという気持ちがぐちゃぐちゃで……。私ってこういう運命なのか、五輪には縁がないのかと、少しの間は何も考えられなかったですし、記憶が抜けているんです。五輪出場が閉ざされた事実を受け入れなければいけなかった昨年の年末は、本当にきつかったです。

 本大会に出る、出られないの結果もあるけれど、2人でパリを目指すと決めた時から覚悟を持って挑戦してきたので、私自身は五輪レースを戦い続けたかった。怪我をしてしまった廣田は、責任や申し訳なさを感じていたと思いますし、やりたくても身体が動かない歯がゆさもあったはずです。だから私からは何も言いませんでした。というか、言えませんでした。

 年末、廣田から「もう一度、五輪を目指したい」と言われました。手術を決意してから手術予定日までの期間で、廣田も葛藤したのだと思います。一度は、廣田が手術することを受け入れていたので、もう一度、五輪レースに臨むメンタルに持っていくのは難しい部分もありましたが、最終的に手術せず保存療法に切り替えて、次の試合がある3月に向けて再スタートを切ることになりました。

 廣田の怪我の後にオフに入っていた期間があったので、正直、身体もきつかった。でも1月と2月はしっかりと身体を作っていかないと残りの試合が乗り切れないと思ってトレーナーの厳しいメニューにも耐えようと思いました。廣田の怪我の回復状況を見ながらコンビネーションを合わせて、そこからは2人でとにかく残りの試合を最後までやり切るということに気持ちをシフトさせて、毎日を過ごしてきました。私まで怪我をしてしまったら、このペアの戦いは本当に終わってしまう。だから怪我だけはしないようにいろいろな部分をケアしながら、それでいてできる限り廣田をカバーすることを念頭に置いてプレーしてきました。

 中国で行われたアジア選手権1回戦。韓国ペアにストレートで負けてパリ五輪での代表入りが絶望的となりました。

 一度は五輪に挑戦することすらできなくなり、不完全燃焼で終わってしまうところを、廣田がもう一度、挑戦したいと言ってくれて……。パリ五輪の舞台に立てないのは残念ですけど、五輪レースをやりきったという気持ちになれたのは廣田とサポートしてくれた色んな方のおかげなので、本当に感謝しきれないですね。

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