「0秒01差」で分かれる天国と地獄 プールの底しか見えない、単調な水泳の練習から育まれる人生の強さ――競泳・坂井聖人
未来を担う子どもたちに伝えたい水泳の楽しさ
坂井は現在、故郷・福岡に戻り、第二の人生を歩み始める準備を進めている。具体的に検討しているのは、水泳のパーソナルコーチとして、選手としての経験をもとに伝えていくことである。
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「子どもからマスターズの方々までを対象に、個々の目的にあったレッスンを展開できればと考えています」
パーソナルコーチとは、公共プールや関連のあるスイミングクラブのレーンを借りてレッスンを行う指導者のこと。インスタグラムなどのSNSを利用して告知し、生徒を募る。坂井は泳げない子どもから、ある程度競技者を目指すレベルの人まで、「個別だから、それぞれの目標に合わせた指導ができる」と考えている。
特に、これからの未来を担う子どもたちには、より水泳に親しんでほしいとの思いを抱いている。それは五輪メダリストのイメージとは異なる、幼少期の経験に起因する部分がある。
「競泳って試合に出るレベル、いわゆる選手コースにならないと、なかなかその楽しさが伝わりづらい競技じゃないですか。なので、まずはその前の段階で水に浸る、水で遊ぶ機会を増やしていくことが大切だと思います。小さい滑り台とか、浮き輪を使った遊びとか、コーチに手を持ってもらってバタ足をやったり。
というのも、僕自身、実は水が大嫌いだったんです。ちゃんと水に顔をつけることもできなかったくらいで、小さい頃の自分は、まさか競泳選手になるなんて思ってもみなかったです。それがある時、レッスンの後の水遊びみたいな時間帯で、ふと水に顔をつけられるようになった。そこから水で遊ぶことが楽しくなり、泳ぎに対して興味を持っていくようになった。お風呂ではなく、やっぱりそれをプールで経験してもらいたいと思います」
まずは、水に顔をつけることから。坂井は、自身の原点を子どもたちに伝えていく。
■坂井 聖人 / Masato Sakai
1995年6月6日生まれ、福岡県出身。地元の柳川スイミングクラブで幼少期から泳ぎ、小学6年生からバタフライを主戦場とした。中学時代から全国の舞台で頭角を現すと、インターハイでは高校1年で男子100メートルバタフライ、高校3年で男子200メートルバタフライを制した。卒業後は早稲田大に進学すると、21歳で迎えた2016年リオデジャネイロ五輪に出場。男子200メートルバタフライ決勝で驚異的な追い上げを見せ、怪物マイケル・フェルプスに0秒04差に迫る銀メダルを獲得した。その後は肩の怪我にも悩まされ、東京五輪、パリ五輪の代表に入れず。今年5月に現役引退を発表した。
(牧野 豊 / Yutaka Makino)