敢えてネガティブに表現する魅力は「我慢」 柔道は人をどう育てるのか、減りゆく競技人口への危惧――柔道・大野将平
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
「シン・オリンピックのミカタ」#49 連載「私のスポーツは人をどう育てるのか」第3回
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
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今回は連載「私のスポーツは人をどう育てるのか」。現役アスリートやOB・OG、指導者、学者などが登場し、少子化が進む中で求められるスポーツ普及を考え、それぞれ打ち込んできた競技が教育や人格形成にもたらすものを語る。第3回はリオ五輪、東京五輪の柔道73キロ級金メダリスト・大野将平が登場する。
一点の死角すらない大野将平の柔道には、心憎いまでの気高さがあった。彼は引退ではなく、競技生活にひと区切りをつけて昨夏より日本オリンピック委員会のスポーツ指導者海外研修事業を利用してイギリス・スコットランドに渡り、コーチング修行、語学習得に励んでいる。柔道家として競技にすべてを注ぎ込んできた生活から離れ、スポーツ文化が根づく欧州での生活において何を思い、何を感じているのか。柔道の未来を語ってもらった。(取材・構成=二宮 寿朗)
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柔道の魅力は何か。そういう質問をよく受けます。
競技面で言えば、私の答えは決まってこうです。それは、投げること。子どものころ柔道を始めたときに人を投げる競技の楽しさを感じて以来、ずっと柔道に向き合い続けることになったわけですから。
柔道は我慢の競技だと言えます。組手争い一つ取っても指がちぎれるほどに痛く、相手との我慢勝負に勝たなくてはなりません。一つでも妥協してしまったら「死」を招いてしまいます。柔道のルーツをたどっていけば、武士が刀で戦えないときに締め技、関節技を使ったとされる柔術、武術があります。つまり死と隣り合わせであり、投げられて一本で負けることはすなわち「死」を意味します。
我慢の類義語として忍耐という言葉もありますが、それだとちょっと格好がいい。私は、敢えてこの「我慢」というネガティブな表現が好きで、まさに柔道にピタリ当てはまると感じています。
我慢は、自分に無理をさせるということでもあります。自分に無理を強制することを良しとする主旨ではなく、何が言いたいかと言えば日頃の稽古においても我慢の先に自分の限界を超えることにつながるということです。
選手時代、トレーナーさんとの合言葉は「ギリギリを攻める」でした。そのラインを超えすぎてしまうと体が壊れてしまう。だけどちょっとだけ超えることはできる。日々、限界を一歩超えることがいわゆる成長だと私は感じていました。そのギリギリのラインを見極めつつ我慢して限界の先を追い求め、苦しいなかでも成長していけるのが自分における稽古のイメージですし、私自身それが柔道の魅力ではないかと思っています。