震災乗り越え初出場の鵬学園 「サッカーどころではなかった」3か月…初戦敗退も他校の支援に感謝
現在も地元で活動できず、週2回金沢市まで移動して練習
多くの助けを得て届いた初舞台だっただけに、赤地監督は「3か月間は、本当に生活するのでいっぱいいっぱい。サッカーどころじゃなかった。全国のサッカーファミリーが、いろいろなサポートをしてくれた。それで、サッカーがもう一度できるというところで、選手もそれが当たり前じゃないとすごく実感できた。石川県の方々も、もう一度元気をと言って送り出してくれたので、勝ちたかったし、皆さんに笑顔を届けたかった。でも、悔し涙で終わってしまいました」と勝利の報告で恩返しをできなかったことを悔しがった。
復旧活動は、まだ終わっていない。サッカー部も、まだ地元で活動できる場所がなく、木曜、金曜に40~50分かけて金沢市内まで移動して練習。時間も1時間強しか取れないなかで活動に励んでいる。冬の高校選手権での全国再挑戦を狙うが、楽な道のりではない。
それでも、主将の竹内は「最後の部分で、勝負強さがなかった。プレッシャーがかかる舞台で、いつも通り落ち着いてプレーできる場面はもっとあったはず。練習時間が短い分、質にこだわらないといけない」と敗戦を糧に成長する意気込みを示した。最終ラインで体を張った生駒晟司(3年)も「短い練習時間で強度を上げないといけないし、常にみんなをリードするために、自分はもっと喋り続けて、試合のような雰囲気で練習に臨めるようにしたい」と巻き返しを誓う。
震災を乗り越え、初のインターハイを経験した。初戦敗退の悔しさが、さらなる成長につながったと冬に示すための戦いがここから始まる。
(平野 貴也 / Takaya Hirano)