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現役時代に「もっと勉強しておけば…」 代表取締役になった元なでしこ阪口夢穂、資格取得で開けた世界【女性アスリートのキャリアデザイン】

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現役時代に「もっと勉強しておけば…」 代表取締役になった元なでしこ阪口夢穂、資格取得で開けた世界【女性アスリートのキャリアデザイン】

著者:長島 恭子(W-ANS ACADEMY編集部)

2025.03.08

キャリア

元サッカー日本女子代表の阪口夢穂さん【写真:荒川祐史】
元サッカー日本女子代表の阪口夢穂さん【写真:荒川祐史】

「国際女性デー特集」第3回・阪口夢穂(サッカー)

 3月8日が「国際女性デー」と国連で定められてから、今年で50周年を迎えます。2021年から女性アスリートとスポーツの課題にスポットを当てた特集「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」を実施してきた株式会社Creative2は、節目の年となることを記念して、今年は「女性の生き方を考える」をテーマに運営する3つの媒体で企画を展開します。

 スポーツを楽しむすべての女性を応援するメディア「W-ANS ACADEMY」では、各競技で世界のトップに立った経験がある3人の日本人女性アスリートにインタビュー。現役キャリアを前期・中期・後期の3つに大きく分類し、そのなかで起きた自身の変化や決断について話を聞きます。第3回は2011年FIFA女子ワールドカップ(W杯)優勝メンバーの1人で、元サッカー日本女子代表(なでしこジャパン)の阪口夢穂さんの「後期」。キャリア後半に差しかかったコロナ禍の20年に、ふと「資格でも取ってみるか」と思い立つと今や8種の資格を保有。苦手な勉強に取り組む背景と、家業を継ぎ代表取締役を務める現在の生活について話を聞きました。(取材・文=W-ANS ACADEMY編集部・長島 恭子)

 ◇ ◇ ◇

 2011年の女子W杯で、なでしこジャパンは優勝候補と目されたドイツ、そして米国を撃破。男女を通じて日本初、そしてアジア初となる世界一に輝きました。

 阪口夢穂さんは当時の優勝メンバーの一員で、22年9月に現役を引退し、現在は家業である運送会社、融星(ゆうせい)運輸株式会社の代表取締役を務めています。

「1週間のスケジュールは、平日は家業、週末は全国各地で開催されるサッカーのイベントに呼ばれて、参加することが多いですね。会社での業務内容は、従業員さんが運転するトレーラーの運行の管理や書類仕事が主。今の役職に就いて約1年が経ち、会社の仕事の流れもより分かるようになりました」

 阪口さんは引退後、毎年、国家資格などを取得してきました。22年11月に行政書士を、翌23年は宅地建物取引士の試験に挑戦し、ともに一発合格。難関と言われる試験をクリアし、話題になりました。

 そして昨年はファイナンシャル・プランニング(FP)技能士の3級・2級、国内旅行業務取扱管理者を取得。現在、計8種の資格を持っています。

「今は1年に1種、なんらかの資格を取ることが私の目標。最近は周りにも『次は何に挑戦するの?』と言われるので、期待に応えないと……と思って(笑)。でも、今のところは資格を武器に何か新しい仕事をしようとまでは思っていません。自慢の材料が増えたな、というぐらいです(笑)」

最初の資格取得で気づいた勉強の面白さ

資格取得を機に勉強の面白さに気付いたという【写真:荒川祐史】
資格取得を機に勉強の面白さに気付いたという【写真:荒川祐史】

 勉強は苦手。でも、資格を取るための学びは面白いから続けている、と阪口さん。「現役の時に、もっといろんなことを勉強しといたら良かったと思う」と言います。

「例えばFPの試験勉強では社会のこと、お金のことなど、学生の時に学んだほうがいいと感じることばかりです。ちょうど昨日、『もっと選手時代に勉強していたら良かった』と母親に言ったんです。そうしたら、『選手時代はサッカーのことしか考えてなかったでしょ』と言われ、確かにそうだ、今だから思うんだよなと思って。どっちがいい、とかはないんですよね。(サッカーに集中した)選手時代があって、今があるわけだし」

 実は、阪口さんが初めて資格を取得したのは、現役時代のこと。サッカー人生のキャリア後半にあたる、2020年のことでした。コロナ禍で練習も、試合もできないなか、ふと「資格でも取ってみるか」と思いついたそうです。

「家業が運送業をやっているので、どうせ取るならその仕事に関係するものにしよう、と考え、運行管理者の資格を取得。その時にちょっと『勉強、面白いやん!』と思ったんです」

 競技を引退したのは、それから2年後の22年。シーズン終了とともに、当時所属していたWEリーグ(日本女子プロサッカーリーグ)の大宮アルディージャVENTUSを退団。引退の理由を聞くと、「とりあえず『もうサッカーはいいや!』と思って」と、さっぱりした答えが返ってきました。

「私の場合、選手を引退するという決断は、たぶん、皆さんが思うほど重たくはないと思います。先のことは何も考えていなかったのですが、引退に際しても不安はなかった。『ま、なるようになるやろ!』という感じ。やばいでしょ(笑)」

「現役時代のほうが充実していた」とは思わない

日本代表では10番を背負ってプレーした【写真:Getty Images】
日本代表では10番を背負ってプレーした【写真:Getty Images】

 6月に退団し、地元・大阪に戻ったのは7月。「しばらくフラフラしていた」と言いますが、実はその間、「家業である運送会社に入社するために必要」という3種の資格を取得。実家に帰ろうと決めた一方、するっと家業に収まるのは「ちょっと違う気がしたから」と言います。

「家業だからと何も持たずに入社して、役員になったら、前からいる従業員からしたら『サッカーをやっていたのかなんか知らんけど、いきなりポンって入ってきて』と感じるじゃないですか。実際、私は会社では何もできない。だから、必要な免許は全部取ろう。そうしたら、誰も文句言わないだろうと思ったんです」

 この時、取得したのは大型自動車免許、けん引免許、そして乙種第4類危険物取扱者免許。これらはガソリンや灯油など油類を運ぶトレーラーを運転するのに絶対に必要な3点セットであり、阪口さんの会社では運転手として雇う従業員は必ず持っている免許だそうです。

「実際には運転は私の仕事ではありません。私の仕事は銀行のやりとりや書類の手続きなど。運転は取締役である兄や従業員が担っています。うちは家族経営の小っちゃい会社。みんながそれぞれの役割を担っていこうぜ、という感じなんです」

 サッカー選手から、まったく別の世界にキャリアチェンジし、今も活躍する阪口さん。しかし引退後、道に迷ったり、新たな道に踏み出せなかったりする選手は少なくない、と言います。

「アスリートは競技をやっていた時の自分が一番輝いていると、たぶん思っています。だから、辞めた後も『現役時代のほうが充実していた』と話す選手も結構、多い印象です。

 感じ方は人それぞれですが、私自身はそんな風に思ったことはありません。アスリートとしての人生と、一般の社会人としての人生は、経験することもまったく異なります。そもそも比べられるものではないし、私で言えば『ワールドカップで優勝した経験』を超えられるわけ、ないですから」

「セカンドのキャリア」って誰が決めたの?

サッカー人生で得た「人の繋がり」を大切に生きている【写真:荒川祐史】
サッカー人生で得た「人の繋がり」を大切に生きている【写真:荒川祐史】

 それはそれ、これはこれ。「私は『今からもっと、人生、輝かしたらええやん!』と思うタイプだから」と阪口さん。

「それに、アスリートのセカンドキャリアっていうワードがよく出てきますが、今が『セカンドのキャリア』って誰が決めたの? と思います。私にしても、まだファースト。ただ、生きる土俵が、世界が変わった、みたいな感じに捉えています」

 約30年間続いたサッカー人生。その経験が、阪口さんにもたらした最高のギフトは「人の繋がり」だと言います。

「仕事は変わったけれど、今もサッカーで出会った人たちと繋がりがあります。例えば、週末のサッカーは、サッカー経験のない子どもたちと一緒に体を動かすのが目的ですが、これは澤さん(穂希/2011年女子W杯で優勝したなでしこジャパンの一員で、同大会の得点王・MVP)と活動させていただいています。また、繋がりのある方から声をかけていただき、弊社と業務提携を結んだりもしています。

 選手時代は怪我に苦しんだし、しんどい時もいっぱいありました。でも仲間との強い繋がりがあったから、へこたれなかった。サッカーをやっていたことで、メンタル的に大きなものを得られたなと思います」

■阪口 夢穂 / Mizuho Sakaguchi

 1987年10月15日生まれ、大阪府出身。6歳から地元のクラブチームでサッカーを始める。高校卒業後の2006年にTASAKIペルーレFCに加入。1年目からリーグ戦に出場する。09年のクラブ休部に伴い、米USL WリーグのFCインディアナに移籍。翌年のアルビレックス新潟レディースへの移籍を経て、12年には日テレ・ベレーザに加入。リーグ3連覇(15~17年)に貢献し、3年連続でなでしこリーグ最優秀選手賞を受賞した。21年のWEリーグ開幕を機に大宮アルディージャVENTUSに移籍。22年6月に退団を発表する。同年10 月、家業である融星運輸株式会社の役員に就任。翌23年より代表取締役を務める。なでしこジャパンには06年に初選出。11年女子W杯ドイツ大会で優勝、12 年ロンドン五輪で銀メダル、15年女子W杯カナダ大会で準優勝。通算キャップ数は124。

(W-ANS ACADEMY編集部・長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

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