インタビュー

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インタビュー

「ソフトボールってこんなに面白いんだと…」 世界選手権に感じた“底力”

決勝で魂の熱投を続けた上野投手に日本中が感動

 固唾をのんで見守った。スタンドで、テレビの前で――。上野由岐子投手の魂の熱投に多くのファンが歓喜し、胸を打たれた。久しぶりに日本中がソフトボールに熱狂した。

 8月2日から12日まで千葉県内で開催された第16回WBSC世界女子ソフトボール選手権大会。連日猛暑の中で行われた真夏の世界一決定戦。日本は快進撃を続けたが、11日の準決勝でタイブレーカー方式(7回で決着がつかなければ、8回以降は無死二塁からスタート)の末アメリカに3-4で敗戦。

 それでも最終日の12日、決勝を前に行われた敗者復活を兼ねた3位決定戦では大黒柱の上野投手がカナダを相手に7回を完封。再びアメリカとの決勝戦へ駒を進めた。決勝戦は再びタイブレーカーに突入し延長10回までもつれる激戦となったが、最後はアメリカの意地の前に屈した。2年後の東京オリンピックへ向けて課題と収穫が見えた大会となった。

 まさに死闘だった。10年前の北京オリンピックの興奮が蘇るようだった。午後7時から行われた決勝のマウンドに上がったのは、当然のように上野投手。87球を投げたカナダ戦から“中3時間半”での連投だった。

 決勝戦は両チーム一歩も引かない大激戦となった。日本は3回までに2点をリードするも、3回裏に3点を失い逆転を許す。上野投手はこの大会初めての失点を喫した。

 それでも日本は6回。この日指名打者として出場していた藤田倭(やまと)選手が左中間へ弾丸ライナーの同点本塁打を放ち、再び3-3の振り出しに戻す。勝負は準決勝に続いてタイブレーカー方式の延長戦に突入した。

 延長10回。藤田選手がこの試合2本目となる2点本塁打で6-4と勝ち越しに成功。しかしその裏、ここまで一人で投げ続けてきた上野投手が3点を奪われ、逆転サヨナラ負けを喫した。上野投手は1日2完投、計249球を投げ、力投するも最後の最後で及ばず、天を仰ぎ悔しがった。

宇津木麗華監督は手応え「大きな希望をもって今後に向かいたい」

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 日本が金メダルを獲得した、2008年の北京オリンピックでも決勝を戦った宿敵アメリカとの、見ごたえ十分の激戦。ファンも大いに盛り上がった。試合後、宇津木麗華監督はこう振り返っている。

「今日は負けましたが、まだまだこれからの選手が多い。上野に続く投手にどうやって経験を積ませていくか。自分もまた大きな経験をさせてもらいました。やらないといけないことは多いです。すぐに再スタートです。今日はみんなよく頑張りましたし、大きな希望をもって今後に向かいたいと思っています」

 連投の末、最後に力尽きた上野投手については、「まだまだ健在です。2020年が大きな目標です。上野に関しては文句なしの100点以上ですね」と称えていた。

 確かに偉大な上野投手に続く存在はなかなか現れないが、投手でありながら打撃でも決勝で2本塁打したソフトボール界の“二刀流”藤田選手が準決勝のアメリカ戦で好投するなど光明は見えた。最後は経験豊富な上野投手に頼る形となったが、それだけ上野投手への信頼が厚いということでもある。

 上野投手自身も「自分で投げていて歳を取ったなと感じる」と苦笑いしながらも、課題と収穫を口にした。

「みんなが点を取ってくれた試合で勝てなかったのは申し訳ない。日本の攻撃陣はアメリカの投手陣から6点を取っています。だから、やっぱりバッテリーがこれからしっかりとやっていかないといけないのかなと思います。戦い方としては良かった。課題もしっかり見えてきたと思うし、勝って終わるよりも負けた方が学ぶことも多い。もちろん勝ちたかったですが、そういった意味ではこれを生かして2020年につなげていくことができればいいと思います」

 前を見据え、はっきりとした力強い口調だった。自身に続く、若い投手には厳しい言葉でエールを送った。投手陣の成長を問われると「そこはすごい課題だと思います」と言葉に力を込めながら、こう続けた。

「(藤田)倭は安定感も出てきたし、準決勝のアメリカ戦はいい経験だったと思います。そのほかの投手はもっともっとスキルを磨いていって欲しい。そこが(今後へ向けて)大きな課題になってくるでしょう」

 アメリカとの差は紙一重だった。だが一方で勝てなかったのも事実。2020年で大きな期待がかかる金メダル獲得へ向けて、目指すべきところ、強化しなければならないところがはっきりとした大会だった。

熱く盛り上がった日本での世界一決定戦

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 ライバル対決で熱く盛り上がった第16回WBSC世界女子ソフトボール選手権大会。テレビの地上波では連日放送され、決勝戦のスタンド内野席はぎっしりと埋まり、東京オリンピックの前哨戦にあたる日本(千葉県の4市・4会場※)で開催した国際大会は成功裏に終わった。大会終了後、日本ソフトボール協会の宇津木妙子副会長は、国際競技大会の円滑な開催の支援を目的とした、スポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成「国際競技大会開催助成」が大会の運営に役立てられていることに触れ、日本代表チームの活躍、大会の運営面そして今後のソフトボール競技の普及・発展について語り、一大イベントを振り返った。

「2年後の東京オリンピックへ向けても(世界ランク1位の)アメリカと対戦出来たことは、すごく大きかったですね。(2008年の)北京オリンピックでは日本が勝っているので、観ている側は、紙一重だった今回の結果で、やり方によっては2年後のオリンピックでもアメリカに勝ってくれると思ったのではないでしょうか」

 一方で、大会運営面について、国際競技大会の日本開催は国内の中央競技団体だけでなく国際競技団体(WBSC)が主催となるため、大会組織委員会や県及び各市行政、大会運営スタッフとの連携が非常に重要だったと語った。

「やはり人と人との繋がりによって、最終的に良くも悪くもなるということを痛感させられました。地元スタッフの方々も最初はどうしたらよいのか分からないことがあったようですが、日を追うにつれWBSC役員との連携もうまく回り出し、各会場とも笑顔で終了することができたようです。特に、大会ボランティアスタッフの皆様には大変頑張っていただき、大会の成功には不可欠な存在として、心から感謝しています」

 宇津木副会長は長きに渡ってソフトボール界を牽引してきた、まさに功労者だ。1997年から日本代表チームの監督を務め、2000年のシドニーオリンピックで銀メダル、2004年のアテネオリンピックでは上野投手らを率いて銅メダルに導いた。監督の座を退いても、ソフトボールの世界的な発展、普及のためにアフリカや、ヨーロッパでソフトボール教室を開催するなど尽力してきた。

 2020年の東京オリンピックでは追加競技として、3大会ぶりに採用が決定。待ちに待った大舞台への、大事な前哨戦で感じたソフトボールの“底力”に胸をなで下ろしている。

「今回、10日間テレビで放映してくれたことは大きかったですね。ソフトボールをやっている子どもたちもですが、普段はソフトボールを知らない人も観てくれて、『野球よりも面白い』『ソフトボールってこんなに面白いんですね』と言ってくれる人もいました。自分たちのスポーツを見てくれるのは本当に嬉しい。ソフトボールをメジャーにしたいという思いでずっとやってきました。普及させるためには、やる人だけではなく支援する人、観る人も一つになる必要がある」

「普段日本リーグという形で競技自体を観て頂ける機会はありますが、やはり国際大会、かつ世界選手権大会となると、注目度は上がります。ソフトボールは北京オリンピック以降、認知度が下がってきていました。今回のこの大会を通じて、多くの方に認知してもらったという手応えがあります。そういう点でも世界選手権を日本で開催できたことは大きかったと思います」

 それだけに、運営面での大きな助力となったスポーツくじの収益による助成には感謝の念を繰り返した。そもそも助成制度が無ければ、今大会の日本開催も立候補できなかったかもしれないという。

「本当に大きい大会(国際大会)になればなるほど、スポンサーやボランティアも含めた様々な支援はすごく大きいのです。うちの協会(日本ソフトボール協会)にはすごくありがたかった。子どもたちにも、色々な人のサポートがあって競技ができる、夢を追うことができるんだと、伝えています。決してサポートがあるのが当たり前じゃない。『スポーツくじ』が、こうやって(スポーツの振興に)役立っていると教えるのも大人の仕事。そうすれば『スポーツくじ』も、もっともっと広まっていくと感じています。個人的にも、協会としても、支援のおかげで色々なこと(大会の開催や競技場の改修等)ができていることに、すごく感謝しています。スポーツ界全体でこの制度がより幅広く発展することを願ってやみません」

 宇津木副会長はこう語り大会総括を締めくくった。熱い夏の戦いによって、徐々に戻ってきたソフトボール熱。その熱をさらに大きくするために、“ソフトジャパン”はこの先も輝き続けなければならない。

※第16回WBSC世界女子ソフトボール選手権大会は次の4会場で開催された。
「ZOZOマリンスタジアム(千葉市)」「第一カッター球場(秋津野球場)(習志野市)」
「ナスパ・スタジアム(成田市)」「ゼットエーボールパーク(市原市)」

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宇津木 妙子うつぎ たえこ

1953年4月6日生まれ、埼玉県出身。現役時代は内野手として1974年の世界選手権に出場。1985年に現役引退後、ジュニア日本代表コーチを経て、日立高崎ソフトボール部の監督に就任。1997年には日本代表監督に就任。2000年のシドニーオリンピックで銀メダル、2004年のアテネオリンピックでは銅メダルに導く。大会後に日本代表監督を退任。2005年に日本人史上初の国際ソフトボール連盟殿堂入り。金メダルを獲得した2008年の北京オリンピックはテレビ解説者として見届ける。2011年にはNPO法人「ソフトボール・ドリーム」を立ち上げ、競技普及に注力。2014年、世界野球ソフトボール連盟の理事に就任。任期は2021年までの7年間。

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