[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

医師とは違う道を歩んで 東京五輪金メダル候補・楢崎智亜がクライミングにかける理由

東京オリンピックの追加種目として採用されることになったスポーツクライミング。金メダル候補として期待されるのが、昨夏の世界選手権、複合種目で優勝し代表の座に内定した楢崎智亜だ。爽やかな笑顔が印象的なイケメンクライマーが目指すのは五輪本番での表彰式の頂点だが、選ぶ道が違っていたならば、今頃、白衣にそでを通して患者と向き合っていたのかもしれない。

金メダル候補として期待がかかるスポーツクライミングの楢崎智亜【写真:窪田亮】
金メダル候補として期待がかかるスポーツクライミングの楢崎智亜【写真:窪田亮】

クライミング界のエース楢崎智亜に単独インタビュー 人生を分けた分岐点とは

 東京オリンピックの追加種目として採用されることになったスポーツクライミング。金メダル候補として期待されるのが、昨夏の世界選手権、複合種目で優勝し代表の座に内定した楢崎智亜だ。爽やかな笑顔が印象的なイケメンクライマーが目指すのは五輪本番での表彰式の頂点だが、選ぶ道が違っていたならば、今頃、白衣にそでを通して患者と向き合っていたのかもしれない。

【特集】No.1クライマーが壁に抱く思い 難しいほど「ワクワクするじゃないですか」 / スポーツクライミング・楢崎智亜インタビュー(GROWINGへ)

「THE ANSWER」の連載「選択――英雄たちの1/2」では、23歳の楢崎が語った人生の転機にスポットライトを当てる。

 ◇ ◇ ◇ 

 そびえたつ反り立つ壁とひたすら対峙を続け、五輪の頂点すらうかがえるところまできたクライミング界のエース。その人生の岐路は高校を卒業する直前だった。すでにユース年代でクライマーとしての実績を積み重ね、将来を嘱望されていた楢崎は大学には進学せずに、プロクライマーとして競技を続けることを選択した。

「高校卒業してどうするかが一番悩んだ。僕の世代ですぐにプロになるというのは1人もいなくて、ほとんどの選手が大学に行っていました。なおかつ一番成績が出てたわけじゃない。本当に自分がやりたいのはどっちかというのを考えて、クライミングを選んだという感じがあります」

 大学に進学せずにプロクライマーになることは、イコール、家族の敷いたレールから外れることでもある。楢崎の父は内科を開業している。楢崎は3兄弟の2番目で、兄はすぐに違う道を志し、3歳下の弟・明智も自身と同様クライミングに打ち込んでいた。では誰が家業を継ぐのか――。

 医師になろうという気はあったのか? という問いには間髪入れず「最初はゼロです(笑)」と笑いながらも、「もともと兄が医学部ではなく普通の大学に行ってて、僕に回ってきて……。弟は全くなる気がなかった。『あれ、俺しかない……』というのもあったんです。途中で、僕が世界に挑んでいるときに、その姿を見て兄が『僕も挑戦してみようかな』と思ったみたいで大学を辞めて医師になるための勉強を始めた。大変そうでしたけどね。それで僕もこちら(クライミング)に専念できました」と明かす。

 一方で父親からはプレッシャーもかけられていた。「『プロになって2年以内に成績が伸びなかったら大学受験をしなさい』と言われていました」。父親からは2年間で結果が出なければ、クライミングの世界からは離れて、自身の後を継いでほしいという思いも感じていたようだ。

「僕的にも『継いでほしいんじゃないか』みたいなのはあった。ほかの人に任せちゃうのはもったいないのかなって、当時は思ったりもしていました」

 結果的にはプロ転向2年目の2016年にフランスで行われた世界選手権のボルダリングで優勝。同年の年間王者にも輝き、押しも押されもせぬ日本のエースとなったが、もし同年までに結果を出せていなければ……。もしかすると今とは全く違った立場になっていたかもしれない。

 一時は真剣に悩んだという自らの歩む道。だが、今はあっけらかんと振り返る。「そんなに悩まなくてよかったなと。今思えばですけど。やりたいことをやるのが一番だと今は思っているので」と笑う楢崎が、悩んだ時に最も大切にする基準とは何だろうか。

1 2
W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
スポーツ応援サイトGROWING by スポーツくじ(toto・BIG)
DAZN
Lemino
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
UNIVAS
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集