インタビュー

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インタビュー

日本のエースはなぜ畳に上がるのか 「勝ち続けることで違う境地に」

東京オリンピックで2連覇を目指す“最強柔道家”が歩んできた足跡とは

 2019年の夏、日本柔道界のエースは畳の上で圧倒的な強さを見せつけた。2019世界柔道選手権、男子73キロ級で6試合オール一本勝ち。2020年の東京オリンピックまでの道を明るく照らし出したのは、2016年のリオデジャネイロオリンピック金メダリストの大野将平選手だ。

 柔道を始めたのは幼少期の頃。2歳年上の兄の影響で物心ついたころにはもう道場にいた。

「親戚のおじさんが、道場の先生だった。少年柔道の道場があって、遊びにいっているうちに自然とですね。だからいつから柔道をやっているかはわからないんです。最初は柔道着も着ずに、おじさんの柔道着の襟をつかませてもらっていました。本当は飛んでもらっているんですけど、こっちは投げた気になっている。やっぱり投げ飛ばすのは楽しいわけですよ。言い方は悪いけれど、それで僕はダマされて始めました(笑)」

“ダマされて”始まったという柔道家のキャリア。中学校からは親元を離れ、“金の卵”たちが入塾する東京の私塾「講道学舎」(2015年閉塾)の門をたたいた。兄の背中を追っての入門だったが、当時の記憶は「しんどかったことばかりです」と苦笑いする。

「親元を離れて、身の回りのこともいきなり1人でしなくちゃいけない。そうですね……。しんどかった。兄が小中高で日本一になって、兄と同じ道を歩めば、兄弟なんだから日本一になれると。そんな甘い考えでついていっただけです」

 慣れない環境に、日本一とも言われた厳しい練習。講道学舎の塾生の中には途中で脱落する者も少なくはなかった。折れそうになる心を、いったいどうやって奮い立たせていたのか。

「根性とかではなくて、ただ兄が同じ場所にいるので、自分が逃げ出すと兄に一番に迷惑がかかる。兄弟として比べられていましたが、弱いなりに兄の邪魔をしたくない。迷惑をかけられない。それに田舎の山口から上京して、周りからは期待もされていました。中学生で上京するっていうのはただ事ではないですから(笑)。そこでチャンピオンになって帰ってくると言って出てきたので……。カッコ悪くて山口には帰れなかった。親にも高い学費を払ってもらい、入れてもらっていたので、そんな気持ちが支えとなって、苦しい時期も乗り越えられたんだと思います」

 決して元からエリートだったわけではない。同期で入門した塾生の中でも、目立つ方ではなかったと振り返る。だが、そんな環境こそが大野選手を強くした。

「講道学舎にいると、周りにオリンピック選手が多かった。上の世代だと、古賀(稔彦)先輩、吉田(秀彦)先輩が道場に来たり、棟田(康幸)先輩とか、泉(浩)先輩とか、当たり前のように練習に来ていて組み合ってもらっていました。自然と、世界やオリンピックに出たいという気持ちは芽生えましたね。

 目指さなきゃいけないというか、やるからにはというのはありましたね。厳しい毎日を過ごしていましたから、それが形にならないとやっている意味がないと思っていました」

 力をつけた大野選手は高校2年生の時にインターハイ(全国高等学校総合体育大会)を初制覇。そして天理大学に進学し、さらに才能が開花。2年生の時に世界ジュニア柔道選手権大会を制し、4年生の時には世界柔道選手権で初優勝を遂げた。「Shohei Ono」の名は一躍、世界に知れ渡るようになった。

ロンドンメンバーの想いも背負って戦ったリオデジャネイロでの金メダル

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 そして2016年のリオデジャネイロオリンピックで、努力が結実する。オール一本勝ちで頂点に立ち、輝く金メダルを掲げた。胸の内に秘めていたのは、“日本柔道界のため”という強い想いだった。

「(2012年の)ロンドンオリンピックの時に(恩師の)篠原先生が監督で、(男子は)金メダルゼロに終わった。私自身も生で観ていましたが、ロンドンのメンバーには講道学舎の先輩がたくさん出ていました。本当は銀メダルでも凄いんですけど、日本柔道が求められているハードルは高い。

 自分自身、もちろん簡単に金メダルを獲れるとは思っていませんでしたが、柔道界の意地というものもありましたし、井上(康生)監督に花を持たせたいという気持ちもありました。その中で獲れた金メダルだったので、リオのメンバーだけじゃなくて、ロンドンのメンバーの悔しい想いも汲んで、その結果が金メダルでした」

 日本柔道のプライドも背負って上がった畳で、重圧を跳ね返し期待に応えた大野選手。だが、金メダルの嬉しさはほどほどに、視線はすぐに2020年へと切り替わったという。

「達成感というより、安心感のほうが強かった。もちろんオリンピックの金メダルは夢でした。ただ、どんな結果でもリオで柔道人生が終わるわけではないですし、戦いは続くと理解していたので、すぐに東京を見ていましたね」

 金メダリストになったことで追われる立場となった。決して短くない4年間、一度頂点に立ったことでモチベーションの維持も決して簡単ではない。それでも大野選手は「そういうのは昔から慣れっこだったので」と笑う。

「なぜ柔道を続けていくのか……。答えはなかなか出ないですね。それを探している。答えを出すためにやっているのかなと。無理に答えを出す必要はありません。やり続ける中で見えてくるものがある。勝ち続けていくことで違う境地にたどりつけると信じてやっています。今は金メダリストになって、ほかの柔道選手とは違う立場で戦えていますが、もう一つ、まだまだ上を目指したい。他のアスリートからみても、『あいつは強い』、『化け物だ』というレベルに到達したいと思っています」

代名詞となっている「一本」への思いとは?

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 一本勝ちと言えば柔道の華。華麗な一本は大野選手の代名詞となっている。実際に8月の世界柔道選手権もオール一本勝ちで頂点に立ったが、本人からは、「以前は一本に惑わされていた部分もある」と意外とも思える答えが返ってきた。

「もちろん理想は一本勝ち。柔道の魅力は相手を投げることです。子どもたちが憧れるのもそういうところですし、一本を目指しつつ、そこに到達するまで攻め抜くこと。ただ、こだわり過ぎて負けた経験もあります。一本を狙いすぎると自分の柔道全体のバランスが崩れ、それは相手にも伝わります。スキが生まれ良い結果には結び付きません。

 だから今は、(一本を)捨ててはないですけど、距離を置いているという感じでしょうか。こだわりも実はありません。優勢勝ちでも勝ちは勝ち。負けたら元も子もない。何も評価されません。もちろん一本を目指して、超攻撃的に攻める柔道を心がけています。その中で最終的に優勢勝ちという形で勝つのはいいと思っています。姿勢の問題です。攻めることが勝ちにつながります。攻撃は最大の防御じゃないけれど、そういう姿勢を大切にしています」

 心技体、すべてがさらに成熟して迎える東京でのオリンピック。2連覇がかかる王者は翌年に迫った祭典をどう迎えるのだろうか。

「自分が生きている中ではまず、(自国で開催される)2回目(のオリンピック)は来ないですよね。それが現役中に来ること、自分はそこでさらに連覇がかかっています。選手として幸せをかみしめて戦えたらいいと思っています」

 だけど、「楽しみ」かというと、そうではないというのが柔道界の厳しさでもある。

「ネガティブな気持ちではないけれど、『よっしゃ、オリンピックだ』という感じにはなりません。それは柔道が特殊な環境だからかもしれません。常に期待は感じています。でも、そのハードルの高さがいいところでもあります。東京でオリンピックができるという喜びを、連覇を目指す力に変えてやりたいと思います」

 柔道界を背負う存在の大野選手。後に続く若き柔道家たちの出現も強く願っている。結果を残して背中で示しながら、自らも柔道教室に足を運び、子どもたちに柔道が持つ魅力を伝えている。

「柔道の良さは、礼や挨拶が教育的分野に役立つことだと思っています。スポーツであり、同時に武道でもある。私自身も柔道教室に行きますが、しっかり礼ができて、元気良く挨拶してくれると嬉しいですね。自分と接することで、柔道を続けようと思ったり、将来オリンピックを目指したり、そう思ってくれる子どもがでてきたら嬉しいことです」

 柔道の普及・発展に役立てられているのが、スポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成金だ。グランドスラム東京(2014~2017年)、グランドスラム大阪(2018、2019年)や、今年の世界柔道選手権東京大会など、国際大会の開催への助成のほか、未来の柔道界を担う選手の発掘・育成事業や指導者の養成、地域の体育館の柔道場に設置する柔道畳の整備にも活用されている。大野選手は感謝と、意義を口にする。

「トップだけじゃなくて、各地方、各年代の子どもたちに使われているのは裾野の拡大にも繋がりますよね。スポーツにとって必要なことです。私にできることは柔道の魅力を伝えて、子どもたちに関心を持ってもらうことですが、実際に子どもたちが少しでも柔道と触れる機会を多くすることで、さらに興味が広がっていけばいいなと思います」

 更なる高みと、柔道界の発展を夢見ながら、日本のエースは東京オリンピックへの道を一歩一歩踏み締めていく。

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大野 将平おおの しょうへい

1992年2月3日、山口県生まれ。旭化成所属。兄の影響で柔道を始める。中学で上京し柔道私塾「講道学舎」に入門。世田谷学園高等学校に進学し、2年の時にインターハイ優勝。天理大学で頭角を現し、1年生の時にシニアの強化指定選手に。2年の時に世界ジュニア柔道選手権大会を制覇。4年生の時には世界柔道選手権を初制覇。2016年のリオデジャネイロオリンピックでは金メダルを獲得した。2019年8月の世界柔道選手権では6試合オール一本勝ちで2015年以来、3度目の優勝を果たした。

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