インタビュー

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「風を切る音が心地良くて」 最強レーサーが車いす陸上に魅了された理由

偶然だった競技との出会い、聞こえた「風を切る音」

 いよいよ、目前に迫った2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会。4年に一度の夢舞台であるパラリンピックでの金メダル獲得を目指す世界記録保持者がいる。車いす陸上の佐藤友祈選手。前回の2016年リオデジャネイロパラリンピックで2つの銀メダルを獲得した“トップレーサー”だ。

 競技との出会いは、偶然だった。「普通に中学、高校に通い、卒業したら就職して。スポーツもしていたし、何不自由なく過ごしていた普通の人間だった」という。転機は20歳の時。腰から下が脱力する症状に見舞われた。最初は一時的で仕事の疲れかと思い、気にも留めなかったが、次第に悪化。ある時、高熱を出して意識を失い、倒れた。

 意識を取り戻すと両下肢が動かず、左腕が麻痺状態。車いす生活となった。当初は病名すら分からなかったが、後に「脊髄炎」と判明。自由に外出もできず、自宅で生活。パソコンで動画サイトを見る日々で偶然目にしたのが、2012年ロンドンパラリンピックだった。なんとなくクリックした。画面に広がった景色に、衝撃を受けた。

「上半身がムキムキで、まるで障がい者という感じがない。健常者と同じ陸上競技場を使って、三輪のかっこいいレーサー(競技用車いす)に乗り、それぞれ国を代表してパラリンピックの舞台に立って、色々な人たちの思いを乗せてスタートラインに着く。100メートルなら一瞬で(決着がつき)、400メートルなら1周で決着がつく。そういうところに興味を持って、自分もやってみたいと思いました」

 一番障害の軽いクラスでは時速30キロ以上で駆け、国を背負って戦う。こんな舞台に自分も立ってみたい――。思い立ったら即行動だった。すぐに、当時住んでいた静岡県の障がい者団体の知人に掛け合い、県内で車いす陸上をやっている人を数人、紹介してもらった。競技用のレーサーを借り、実際に走ってみた。当初は普段使わない筋肉を使うため、すぐに筋肉痛に襲われた。でも、楽しかった。

「風を切れるんです。障がいを負って車いす生活になってから、走ることができなくなり、風を感じることもできない。競技用の車いすに乗り、最初は時速10キロが出るか出ないかくらいで遅いけど、それでも風を切ることができた。それ自体に心地良さを覚えて。ロンドンパラリンピックの3か月後にあたる12月開催のロードマラソンにエントリーしてしまいました」

リオデジャネイロ大会で手にした2つの銀メダル

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左からチームメイトの生馬知季選手、佐藤友祈選手、松永仁志選手兼監督


 やると決めたらやる。当初から目標ははっきりとしていた。「4年後のリオデジャネイロパラリンピックに日本代表として出てメダルを獲得する」。競技には資金が必要となり、県内の企業に就職すると、練習時間が十分に取れなくなった。競技とより向き合える環境を求めている時、北京大会、ロンドン大会とパラリンピック連続出場を果たした松永仁志選手と出会い、師事するために岡山に拠点を移した。これが運命を変えた。

「初めて会った時、なんでこんなに筋肉がついているんだろう、速くなるにはこのくらい必要なのかと思った。その時にいきなり『僕、パラリンピックに出たいんです。どうしたらいいですか?』と聞いたんです。『お腹に空間を作って卵を入れて割らないようなイメージで』とアドバイスを受けて、そこからひたすら練習していきました」

 車いす陸上は筋力だけがものを言うわけではなく、こぐタイミング、体重の乗せ方など、繊細な技術も要求される。自己流だった練習に師匠の教えが加わり、メキメキと頭角を現した。2015年のIPC陸上競技世界選手権大会400メートル(T52クラス※)で優勝し、パラリンピック代表に内定。競技を始めてからわずか3年余りで目標通り、リオデジャネイロ大会のスタートラインに立った。その感動は今も忘れられない。
※参考:一般社団法人日本パラ陸上競技連盟ホームページ内「分かりやすいクラス分け」
https://jaafd.org/pdf/top/classwake_qa_rr.pdf

「病気になって車いす陸上に出会い、最初は(競技用の)車いすに乗り換えるだけで何度も落ちて、転んだ。そんなところから始まって、やっとスタートラインに立つことができた。これで両親、祖父母はもちろん、病気になってから心配をかけた人たちに対して、もちろん感謝の気持ちはあったけど、それ以上に『僕は佐藤友祈です』と胸を張って名乗れると思いました」

 リオデジャネイロ大会では400メートル、1500メートルでともに銀メダルを獲得。惜しくも表彰台の真ん中には立てなかったが、そこから成長を遂げ、2018年7月の関東パラ陸上競技選手権大会では400メートル(55秒13)、1500メートル(3分25秒08)で世界記録を樹立。一躍、東京パラリンピックの金メダル有力候補に躍り出た。

「リオは金メダルを獲ると思っていたのに銀メダルで終わり、目標を達成できなかったことで周りに対して申し訳ないという感情だった。メダルを獲れたこと自体はうれしいけど、獲った時も獲った後も今でさえも悔しさの方が強い。その後、世界記録を出すこともできたけど、これからは海外選手もそれを目標に狙ってくる。僕はさらにその上を目指して、東京パラリンピックでリベンジしたいです」

競技用レーサーは300万円も…スポーツくじの助成金が支える競技環境

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 偶然の出会いから始まり、前だけを見て突き進んできた競技人生。しかし、その過程において「非常に心強かった」と感謝するものがある。それが、スポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成金だ。スポーツくじの助成金は、陸上競技場などのスポーツ施設の整備やスポーツ教室・大会の開催などに役立てられている。また、佐藤選手個人としても2016年から助成を受けており、競技をする上で支えられてきた。その価値の大きさについて実感を込めて語る。

「競技用の用具にしても、ホイール1セットで40~50万円するし、高額なもの。助成金を支給していただくことによって、用具の購入費、遠征にかかる交通費、宿泊費はもちろん、練習する競技場の使用料……。競技に関するお金を一切、心配しなくて良いので競技に集中することができたと思っています」

 競技用のレーサーは50~300万円するものもある。自分で働きながら費用を工面するが、陰の支えがあるから、競技に集中することができた。

「大会など、そういう目標が一つでも多くあることによって、選手が意識を高くして競技を続けられる。僕は個人としても支援をしていただき助かっていますし、大会開催に助成金が使われている面も、自己ベストを目指し、達成しようと思える場を作っていただけるということでパラ競技全体にすごく有効になっていると感じます」

 ただ、車いす陸上の認知度は高いとは言えない。「日常の車いすのスピードって遅いイメージだと思う。でも、競技となると、障がいの軽いクラスでは、ポジション取りでクラッシュすることも頻繁にある。実際に見てみると、そういうスリルもスピード感もイメージと全然違うと思います」と魅力を語り、競技普及に対する想いを明かした。

「最近は車いすバスケが注目されたり、パラ競泳の選手がCMに出たり、メディア露出が増えていますけど、車いす陸上は比較的少ない。今こうして喋っている状態と、三輪のかっこいいレーサーに乗っている状態は全然違う。競技と向き合っている姿を目にする機会が極端に少ない気がしていて。車いす陸上がさらに広まってほしいと思います」

パラ競技の普及、発展のため…東京で目指す「金メダル+世界記録」

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 もっともっとパラ競技を注目してもらうために――。まずは来年に迫った東京パラリンピックで結果を残すことが必要になる。車いす陸上のエースとして、自身に「金メダル+世界記録」という高いハードルを課している。

「リオは銀メダルに終わってしまったので、リベンジして金メダルを獲ることは必須。その上で、世界記録を更新して獲れたらかっこいい。金メダルを獲ること自体難しいのに、加えて世界記録の更新はなかなかできないこと。それには当日のコンディションを含め、色々な条件が加わる。達成できたら、もっと(車いす陸上を)取り上げていただけるのではないかと思っています」

 競技で結果を示すだけではない。胸中にはパラアスリートに対する見方を変えたいという想いもある。自身はテーマパーク好きというが、アトラクションに乗ることを一つとっても、車いすを理由に断られることも多いという。

「車いすからいすに移ることも問題なくできるのに“介助されないと動けない”という見られ方も現実としてあります。パラリンピックには色々な競技がありますけど、目にする機会が増えることで、車いすでもこれだけ動けるんだと見方が変わっていくと思う。行く行くは『ご自身でできることはどうぞ』という社会になれば、それこそバリア(障壁)がなくなると思います」

 障がいを負っても、自ら動けば、可能性は広がる。佐藤選手自身、偶然目にした車いす陸上との出会いから人生が変わり、世界の頂を目指すアスリートとなった。だから、パラ競技をしようと興味を持つ“後輩”に対して、温かいメッセージを送る。

「障がい者を支援する地元のNPO法人、障がい者のコミュニティなどが身近にあると思う。自分が興味を持ったスポーツについて調べれば、競技ごとに各都道府県のスポーツ協会がある。そういう公的機関に問い合わせすることで、僕自身もお金がなかった当初は競技用の車いすを貸していただいたり、安く譲っていただいたりしてもらえた。だから、まずは一歩行動して、問い合わせてほしいですね」

 偶然の出会いで、人生を変えてくれた車いす陸上。これからもパラ競技の普及、発展を思い描きながら、駆けていく。世界一速い「風を切る音」を目指して。

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佐藤 友祈さとう ともき

1989年9月8日、静岡県藤枝市出身。20歳で脊髄炎が原因で車いす生活に。2012年ロンドンパラリンピックを見て同年11月から競技を開始。競技を始めて2年目に大分国際車いすマラソン大会「ハーフ」でクラス優勝。2015年IPC陸上競技世界選手権大会では400メートルで金メダルを獲得。翌年のリオデジャネイロパラリンピックで400メートル、1500メートルで銀メダルを獲得。2017年には世界パラ陸上競技選手権大会で400メートル、1500メートル2冠を達成。2018年関東パラ陸上競技選手権大会で記録した400メートル55秒13、1500メートル3分25秒08はともに世界記録。さらに、2019年1月にサマーダウンアンダー2019で800メートル1分51秒57、5000メートルで12分27秒54の世界記録を樹立。座右の銘は「夢は叶えるもの」。

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