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Team Seikoに加わった底知れぬ才能 飯村一輝、21歳「一瞬の駆け引きの連続だからフェンシングは面白い」Team Seikoに加わった底知れぬ才能 飯村一輝、21歳「一瞬の駆け引きの連続だからフェンシングは面白い」

Team Seikoに加わった底知れぬ才能 飯村一輝、21歳「一瞬の駆け引きの連続だからフェンシングは面白い」

文 神原英彰(Creative2/THE ANSWER)
写真 落合直哉
ヘアメイク 長谷川真美

2024年夏、フランスで開催された世界大会で、ニッポン・フェンシングが躍進した。フルーレ、エペ、サーブルの3種目で、出場国最多5個(金2個、銀1個、銅2個)のメダルを獲得。なかでも、日本に歓喜と興奮をもたらした男子フルーレ団体金メダルメンバーの一人である飯村一輝がこのほど、Team Seikoに加入した。

フルーレで世界選手権優勝など活躍した太田雄貴(現・国際フェンシング連盟理事)を育てた父・栄彦さんの影響で競技を始め、トップ選手である妹の彩乃、弟の要とともにフェンシング一家で育った21歳は、慶應義塾大学の3年生。170cmという小柄な体で世界と渡り合い、昨夏に金メダルを獲得した飯村が、Team Seikoの一員として挑む世界ランキング1位の目標や、競技のさらなる普及に向けた想いを明かした。

怖さを楽しさにすら変える――底知れぬ飯村一輝の才能

飯村一輝さん 写真

写真 落合直哉

「SEIKO」のロゴを初めてつけた右胸を見つめ、いたずらっぽく笑った。

「しっくりきてますね、意外と(笑)」

飯村一輝、21歳。最近、韓流のトレンドを意識して襟足を伸ばしているという爽やかな令和の剣士は、この若さにして世界の頂を知る。

昨夏、フランスで世界一をかけて戦った男子フルーレ団体。イタリアとの決勝で金メダルを決めるポイントを奪い、マスクを取って歓喜に酔いしれた姿は記憶に新しい。4年に一度。アスリートによっては人生がかかり、恐怖すら感じるという舞台を「僕の人生史上、一番楽しかった」と言ってのける。

「僕も始まるまでは緊張していて、怖かった。選手村で眠れず、喘息にもなったし、偏頭痛まで……。『ヤバイ、ここには魔物がいる』と。でも、当日になると一瞬で試合に没頭した。頭が空っぽ。自分でもびっくりするくらい冷静で、それはもう再現しようとしてもできない。だから、楽しかったとも思えるんです」

怖さを楽しさにすら変える――。その思考に底知れない可能性が漂う。

飯村一輝さん 写真

剣を握ったのは小学1年生の時。太田雄貴を指導していた父・栄彦さんから、炭酸ジュースを餌にして「フェンシング、やってみない?」と誘われた。

小学2年生で初めて小さな大会で優勝してもらったトロフィーがうれしくて、のめり込んだ。転機となったのは小学6年生で初めて出場した国際大会。場所はオーストラリア。決勝の相手は同い年なのに180cmあった。飯村は148cm。しかし、32cm差ある相手を倒して優勝した。

「あれで、明確に世界一を目指そうとなった」という。

「世界を舞台にしてあり得ないくらい大きい人と戦う楽しさ、フェンシングをやっているといろんな人に出会える楽しさに気付けて、世界で通用するとも思えた。今は170cmまでは伸びたけど、この前もパリの決勝は197cmの選手が相手でした。『また30cm差か……』と思っても『30cm差あるから無理』と思ったことは1回もない。

でも、相手からすると30cm小さい相手とやる、プラス、自分よりも数倍速い相手とやる。逆に僕が140cmの選手が相手で、僕くらいのスピードで動かれたら絶対に嫌。そう考えると、きっと197cmの相手も相当に嫌なはず。だったら、相手の嫌がることを徹底しようと発想の転換ができて、身長もハンデに感じなくなりました」

幼少期から3学年上の内容を勉強し、日本代表に選ばれた高校時代は遠征から帰ってきた翌日にテストがあっても高得点。「アイツ、どうやって勉強してるんだ」の声が快感で、国公立進学クラスに在籍して「オール5」を取った思考力は競技でも間違いなく役に立っている。

「小さいことが僕の一つのストロングポイント。今は全力で武器にしています」と言ってのける。

Team Seiko加入、「憧れる」から「憧れられる」の自覚

飯村一輝さん 写真

写真 落合直哉

Team Seiko加入は尊敬するアスリートとの縁がきっかけとなった。

龍谷大平安高校2年生だった2020年、セイコーグループ株式会社の会長CEOである服部真二氏が設立した「服部真二 文化・スポーツ財団」が、世界に向けて挑戦し続ける若い音楽家・アスリートらの応援のために創設した「服部真二賞」のスポーツ部門・ライジングスター賞を受賞した。

その際、今回でTeam Seikoの先輩となる陸上短距離の山縣亮太と食事をして、身近に感じた。

「フェンシングも会場で得点を表示する電光掲示板でセイコーが使われることが海外でも多く、それがきっかけとなってセイコーを知り、山縣さんと食事をする中で、いつか自分もTeam Seikoに加入したいという想いがありました。今回、話をいただいて、メンバーの一員になれてすごく良かったです」

アスリートにとって、競技活動の支援は不可欠。フェンシング特有の事情もある。

飯村によると、トップフェンサーであっても遠征費は全額自己負担。欧州を中心に年間10試合ある国際大会も日本開催を除き9試合が海外開催。最も短い1週間の滞在でも40万円程度かかり、最も長い1か月になると「3桁(100万円)を超える」という。自分で稼ぎのある社会人選手はまだしも、学生選手にとっては酷な環境だ。

「今は強くなればなるほど赤字になる。学生で活動が続けられる大きなエンジンになるのはスポンサー様の存在。育ててくれた両親に感謝しながら、ここまで成長した自分を支えてくださるスポンサー様がいなければ、ここからは活動を続けられない。ありがたさをすごく感じています」

飯村一輝さん 写真

写真 落合直哉

応援される分、Team Seikoを背負って果たしたい責任がある。

小中学生を対象とした時育®セイコーわくわくスポーツ教室に「ぜひ、参加させていただきたい」と力を込める。フェンシングを始めた時、父が太田雄貴のコーチをしていたこともあり、当時からトップフェンサーが身近な憧れだった。「その分、金メダルを変に重い夢にしすぎないでいられた」と語る。

そして、金メダリストとなった昨年の夏、とあるフェンシング教室に参加した時のこと。参加した中高生から「世界大会はどうだったんですか?」などと矢継ぎ早に質問され、今度は「憧れる」から「憧れられる」に立場が変わったことを自覚した。

「みんなフェンシングに貪欲だし、夢があってすごくキラキラしていた。今度は僕が夢を与える立場になり、フェンシングに限らず、スポーツで何かのきっかけを提供することに貢献したい。小さい頃に一度でも接点があれば、大人になってスポーツに戻ってこようと思う方もいらっしゃる。だから、積極的に参加したいんです」

フェンシングは「じゃんけんの何百倍もの達成感と高揚感」

日本でフェンシングの認知はまだまだ発展途上。飯村は「最近、フェンシングを説明する時のためのテンプレートを作ったんです」と言い、じゃんけんに例えて楽しさを伝える。

「グー・チョキ・パーの3種類から相手の出したいものを読んで勝てた時って嬉しいじゃないですか。心理戦に持ち込まれると『じゃあ、俺がグーを出すよ』『パーを出したら勝てるな』『でもチョキを出すかもしれない』みたいな駆け引きが起こりうる。それをもっと複雑化したものがフェンシングなんです」

じゃんけんのような心理戦が、剣の接触、相手との身長差・リーチ差、スピードや距離などを駆け引きの材料として、よりダイナミックに体験できる。「駆け引きがスポーツとして成り立っている分、すごく面白い。じゃんけんで勝った時の何百倍もの達成感と高揚感があるんです」と魅力を言語化した。

では、どうすれば、その魅力が日本で広がっていくのか。アイデアを聞いてみると「フェンシングって痩せやすい。意外と女性ウケするんじゃないかと思うんです」というユニークな答えが返ってきた。

「簡単にできる用具のセットを置いたクラブチームもあり、そういう環境が増えれば、競技自体の敷居が低くなる。最初の一歩さえ踏み出せれば、続けやすい。貴族のスポーツとも言われるけど、ジムで汗を流す感覚で裾野が広がれば、いつかフランスみたいに体育に取り入れられるような環境になるかもしれないですから」

飯村一輝さん 写真

写真 落合直哉

そして、Team Seikoの一員として、新たなチャレンジが2025年から始まる。どんな時も根底にあるのは、フェンシングへの愛。

「小学校の頃は鬼ごっこもドッジボールも手打ち野球もした。でも、ブレない軸はフェンシングにあった。自分の中で『楽しい』を更新し続けていることが選手を続けていることにも繋がる。僕にはフェンシング以上に楽しいと思ったことがないんです。一瞬の連続である駆け引きにすべてをかけ、そこで刻んでいる時間が楽しくて」

目標は2025年中に世界ランキング1位。そして、2026年日本開催の国際大会で個人&団体金メダルを掲げ、2028年の世界大会では昨夏で個人4位に終わった雪辱を果たすメダル獲得、さらに団体2連覇を思い描く。Team Seikoを背負って歩み出した新たな道は、まだ始まったばかり。

「このマークをつける一員になると、より自覚を持って行動していかないと。これを自信に変えて、フェンシングに臨みたい」

そう言って、飯村は右胸の「SEIKO」を見つめ、表情を引き締めた。

飯村一輝さん 写真

フェンシング選手
飯村一輝

2003年12月27日生まれ。京都市出身。太田雄貴のコーチだった父・栄彦さんの影響で京都女子大附属小1からフェンシングを始める。龍谷大平安中・高(京都)を経て、慶大に進学。高校1年生だった15歳で男子フルーレの日本代表入り。2022年世界ジュニア選手権優勝、ワールドカップ(W杯)3位入賞。2023年世界選手権で史上初の男子フルーレ団体金メダル獲得に貢献した。2024年パリ五輪はフルーレ個人4位、団体金メダル。妹の彩乃も女子フルーレの日本代表。最近は競技メインからから学業メインに切り替え、単位取得に奮闘中。「通学に往復4時間かかって…卒論のある来年の4年秋はもっと地獄です(笑)」

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