インタビュー

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インタビュー

「本当に応援したくなるような戦いを」闘将が日本代表に伝えたいメッセージ

ブラジルではワールドカップは国の機能が止まるほどのビッグイベント

 サッカーワールドカップロシア大会が開幕した。日本代表は初出場の1998年フランス大会以来、6大会連続で世界の強豪に挑む。

 これまでの男子の最高成績は2002年日韓大会、そして、2010年南アフリカ大会のベスト16。自国開催ではない大会で唯一の決勝トーナメント進出を果たした南アフリカ大会で日本代表のDF(ディフェンス)ラインを統率したのが、田中マルクス闘莉王選手(京都サンガF.C.)だ。

 ワールドクラスの実力者を封じ込め、当時の岡田武史監督率いるチームの躍進に貢献した闘将はロシア大会で戦う日本代表に熱いエールを送った。

「ワールドカップはサッカー選手にとっては特別な大会です。日本ではオリンピックも非常に大きなイベントですが、自分が生まれたブラジルではワールドカップが全てと言っても良いくらい。ブラジル代表の試合日は冗談抜きで、誰も仕事をしません。国の機能が止まると言われるほどです。自分も1990年イタリア大会からの記憶があります。

 日本代表としてワールドカップの舞台で君が代を聞いた時は足が震えるほど興奮しました。チームはあと一歩のところでベスト8入りを逃しましたが、一生に一度の経験となりました。ワールドカップは4年に一度しかありません。日本の国全体が代表チームを応援してくれる数少ないチャンスです。今回選ばれたメンバーには悔いのない戦いをしてもらいたいですね」

 サッカー王国と呼ばれるブラジル・サンパウロ州で生まれ育った日系三世。千葉県の渋谷教育学園幕張高校にサッカー留学のために来日し、2004年のアテネオリンピックを前に日本国籍を取得した超攻撃的ディフェンダーにとっては、ワールドカップこそが人生最高の舞台だったという。

「ワールドカップにはワールドカップの戦い方がある」その真意とは

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 8年前の南アフリカ大会でベスト16進出という実績を誇る闘将は、ロシア大会を戦う日本代表の選手たちに伝えたいことがあった。それは、「ワールドカップにはワールドカップの戦い方がある」ということだ。

「Jリーグなど各国とのリーグ戦は全てのチームとの総当たりです。そのシステムの場合、どのチームとも戦わないといけないので、チームのベースや戦術が盤石なものでなければいけない。結果にはチームの力がそのまま反映されることになります。ワールドカップではまずグループステージの3試合が全てです。3チームに対してどう戦うのか、それぞれの国に対する対策があれば良い。そして、数字との兼ね合いがある。最大で勝ち点は9(注1)。できるだけ勝ち点を拾いたい。日本が負けるということは、相手に勝ち点3を与え、こちらがゼロになってしまう。勝てなくとも引き分けにすれば、相手の加点のチャンスを奪うことができる。負けない戦いというのが大前提になります」

 南アフリカ大会で日本代表は、グループステージ初戦でアフリカの強敵カメルーンに1-0で勝利。2戦目で対戦した強豪オランダには0-1で敗れたものの、最終戦でデンマークを3-1で撃破。グループステージで2勝1敗、勝ち点6を積み上げて、グループ2位で決勝トーナメントに進出した(注2)。

 決勝トーナメント1回戦ではパラグアイと対戦し、0-0の死闘の末PK戦で無念の敗退を喫したが、日本サッカー史に残る快進撃だった。

強敵揃いのグループステージを勝ち抜くための戦術とは

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 今大会、FIFAランク61位(6月7日現在)の日本にとっては、グループステージの対戦相手、コロンビア、セネガル、ポーランドはいずれも格上となる。

「今回の対戦相手も強敵揃い。負けない試合をするための大前提は失点をしないこと。失点ゼロに終われば、相手が勝つチャンスはゼロということになります。世界における日本サッカーのレベルでは、自分たちが試合を支配し、ゴールをたくさん奪うというサッカーは現実的ではない。自分たちが主導権を握り、相手を崩すというチームでもないと思う。数少ないチャンスを生かすサッカーが理想だと思います。逆に相手のチャンスを数少なくすることも重視していかなければいけない。個人的には守備的に戦うべきだと思います。それは2010年南アフリカ大会でベスト16に入った日本のサッカーでもあります」

 失点を最小限に留めることが躍進の鍵――。南アフリカ大会開幕直前、当時の日本代表は、阿部勇樹選手(浦和レッズ)が中盤の底のアンカー役に急遽抜擢されるなど、チームは守備的な戦術に舵を切ったのだと回想した。

「ワールドカップ開幕直前にイングランドとコートジボワールという強敵と親善試合で対戦したのですが、叩きのめされました。自分たちのサッカー、チームに対するプライドを持っていたところを、完全に潰されてしまいました。やっぱり正面切って戦っては勝てないと、実感させられました。伝統国や強豪国とはサッカーの歴史も違います。相手の胸を借りるつもりで、あくまで謙虚に戦わないといけないと感じさせられました」

 ワールドカップ本大会直前のスイス合宿での親善試合でチームは連敗した。自身も2試合連続でオウンゴールを記録。そこでプライドを捨てて、現実と向き合った。選手間のミーティングでは「オレたちは弱いんだ」と熱弁を振るい、チームも謙虚さとひたむきさを取り戻した。その結果が決勝トーナメント進出に結びついた。そして、中澤佑二選手(横浜F・マリノス)とのセンターバックコンビは、日本代表史上最強という評価を海外メディアからも勝ち取った。

 ロシア大会開幕直前の4月、ワールドカップアジア最終予選を勝ち抜いたバヒド・ハリルホジッチ監督が退任。西野朗新監督が就任した。

「サッカーは生き物といいます。人生同様、プラン通りにはいかないことはたくさんあります。どんなに正しいことをやっても、正しい結果が出ないこともあります。 いずれにせよ、ワールドカップは多くの日本国民がテレビの前で日本代表ユニフォームを着て応援してくれる舞台です。みんなが本当に応援したくなるような戦いを見せてもらいたいです。自分はボクシング映画の『ロッキー』が大好きです。相手は強いけれど、耐え抜いて、最後に一発、相手にパンチをお見舞いできるチャンスはやってくると思います。日本のサッカーはこれからも続きます。みんなが誇りに感じられるような戦いをしてほしい」

 日本をこよなく愛する男は、ロシアで日の丸を背負う代表戦士にエールを送った。

日本サッカーの未来のために必要な環境の整備

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 ロシアワールドカップが終わると、2年後には東京オリンピック・パラリンピックも控えている。さらにその2年後には次のワールドカップが控えている。未来に向かって日本サッカーが発展し続けていくために必要なことの一つが、「環境整備」だ。

 グラウンドの芝生化や、スポーツ教室・大会の開催など、スポーツ環境を整え、活動を支える仕組みとして、スポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成がある。スポーツくじによる助成金はサッカーに限らず、日本のスポーツのさまざまな場面で広く活用されている。

 京都府が現在建設中で、2020年シーズンから京都サンガF.C.が本拠地として利用予定の京都スタジアム(仮称)にも、スポーツくじによる助成金が活用されている。

「スポーツくじは、スタジアムの整備やグラウンドの芝生化など、競技の土台のところからサポートしているという部分がすごくありがたいと感じます。子ども達がサッカーを楽しむ環境が増えると、将来日本代表クラスの選手が出てくる可能性も広がる。その選手のキャリアを振り返った際に、生まれ育った施設や環境の重要性を改めて実感できる。自分の子どもの頃からを思えば考えられないほど充実していると思います」

 日本のスポーツ文化を支えているスポーツくじによる助成金。スポーツくじに対しても「物語としての夢がありますよね。サッカーファンがくじを買った場合、まずは大きな当せん金という夢があります。当たらなかった場合でも、スポーツ文化を育てていくことに役立つ。未来のスーパースターを育てる環境作りに貢献できると考えれば、色々な人たちの幸せの土台になっていると感じます」と語った。

 ブラジルで少年時代を過ごしたからこそ、気付かされることもあるのだという。

「日本のスポーツ環境は整備されていますし、恵まれていると感じます。自分はブラジルで中学時代には近所の税理士事務所で昼間に仕事して、夜間学校に通っていました。その間は、土のグラウンドでサッカーをしてきました。日本に来てから色々な方や環境に支えられてきました。感謝しなければいけない。素晴らしい施設を見るたびに、日本のスポーツ界は進んでいるな、と感じています。自分自身もサッカーを通じて日本に恩返しをしていきたいと思います」

 燃え盛るような闘志で周囲を鼓舞する超攻撃的ディフェンダーは、これからも熱いプレーで日本のサッカー界を盛り上げていくつもりだ。

(注1)勝ち=勝ち点3、引き分け=勝ち点1、負け=勝ち点0。
(注2)ワールドカップのグループステージは、出場32か国を8グループに分け、4か国がそれぞれ総当たりで対戦し、各グループの上位2か国が決勝トーナメントに進出できる。

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田中 マルクス 闘莉王たなか まるくす とぅーりお

1981年4月24日、ブラジル・サンパウロ州生まれ。京都サンガF.C.所属。98年、渋谷教育学園幕張高校にサッカー留学のため来日。2003年、日本国籍を取得。登録名を「トゥーリオ」から「田中マルクス闘莉王」に変更。04年アテネオリンピックでは3試合全てに出場。10年ワールドカップ南アフリカ大会では4試合全てに出場し、日本代表のベスト16進出に貢献。17年、京都サンガF.C.に入団。同年、Jリーグ史上初のDF登録選手による通算100得点突破という快挙を達成した。

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Q1

本記事を読んで、スポーツくじ(toto・BIG)の収益が、日本のスポーツに役立てられていることを理解できましたか?

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