インタビュー

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夫婦で掴んだ2度のパラリンピック出場 楽しむ柔道から学んだこと

視覚障がい者柔道 廣瀬順子選手

病気で柔道から離れるも、ゴールボールで輝く選手の姿に触発

 視覚障がい者柔道の廣瀬順子選手は、とてもチャーミングな笑顔の持ち主だ。柔道について、自分の成長について、そして夫であり同じく視覚障がい者柔道の悠(はるか)選手について話す時、心から嬉しそうな表情を浮かべる。そんな廣瀬選手だが、東京パラリンピックの後、競技との向き合い方について考えたという。

 夫婦揃ってリオデジャネイロ、東京とパラリンピックに2大会連続出場。リオデジャネイロで銅メダルに輝いた57キロ級の廣瀬選手だが、東京では3位決定戦でジェイネプ・ジェリク選手から先に技ありを奪いながら、延長戦で逆転負け。5位に終わった。

「東京が終わった後、1か月くらいは柔道着を着ずに、柔道とどう向き合おうか考えました。元々、東京で辞めようと思っていましたが、3位決定戦がすごく悔しくて、もう少し柔道をしたいという気持ちが沸いてきた。同時に、いつか子どもが欲しい想いもある。その2つですごく悩みました」

 悩んだ末に選んだのは、柔道を続ける道だった。「柔道を続けたい気持ちがある間は、しっかり競技と向き合うことにしました」と選択の理由を明かす。

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 小学5年生で始めた柔道から少し距離を置いたのは、これが2度目のこと。最初は大学1年生で病気を患い、視野が狭まる視覚障がいを持つようになった時だ。高校時代は全国高等学校総合体育大会(インターハイ)に出場した実力者。だが、この時は意外にも柔道を離れることに未練はなかったという。

「高校までの柔道がすごく厳しかったんです。今は部活動やスポーツの在り方に対する社会の考えが変わってきましたが、私たちは『練習中に笑ってはいけない』という時代。先生に怒られないために練習する気持ちもあったので、正直、楽しくなかったです(笑)」

 柔道を離れると、友達と遊んだり勉強に打ち込んだり、何気ない日常が新鮮で楽しかった。だが、それも束の間。「高校まで辛くてしんどい中でも自分なりに必死に柔道をしてきたので、なにか物足りなさを感じるようになってきたんです」。そんな時、友人と手伝いに行ったゴールボールの大会でハッとした。

「視覚障がいを持つ選手がすごく楽しそうに輝いてプレーする姿を見て、『私もあんな風に柔道ができたらいいな』と思いました。それをきっかけに視覚障がい者柔道を始めると、柔道がすごく楽しく感じるようになりました」

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