インタビュー

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変化を求めて破った殻 ソチ落選から北京まで挑戦し続けた8年の日々

スピードスケート 髙木美帆選手

転機となったソチ落選、変化を求めて新調したスケート靴

 2月に開催された北京オリンピックでスピードスケート5種目に出場し、大会新記録で掴んだ1000メートルでの金メダルを含む4個のメダルを獲得した髙木美帆選手。日本選手団の主将を任され、スピードスケート界のエースとして臨んだ大会では、氷上で見せた渾身のパフォーマンスで観る者の心を掴んだ。

 2018年の平昌大会では金・銀・銅と3個のメダルを獲得。2大会で手にしたメダルは7個となり、夏季も含めて日本女子最多記録を更新した。15歳で初出場した2010年のバンクーバー大会から12年、振り返れば髙木選手の青春時代はオリンピックと共にあった。

 4年に一度のサイクルでやってくるオリンピックの大舞台。髙木選手にとって大きな転機となったのは、出場を逃した2014年のソチ大会だった。前年に高校から大学へ進み、故郷の北海道・帯広を離れて上京。生活環境が大きく変化する中で、「スケート(を巡る環境)だけは変えたくない」という自己防衛にも似た心理が働いたという。

「変わることをすごく怖がっていた時期でした。バンクーバーに出られたこともあって、ソチの選考会までは『同じようにやればできる』と以前の姿に固執してしまった。でも、それだと強くなれないんだ、挑戦していかないといけないんだ、と失敗を経て考えるようになりました」

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 変化を嫌う自分の殻を破ろうと、ソチ大会後に遠征先のオランダでスケート靴を新調した。それまで当たり前のように国産スケート靴の提供を受けていたが、他の選手が靴を作るのに合わせて「私も自分に合う物を探してみよう」と決意。スケート選手にとって体の一部とも言えるスケート靴を変えることは大きな勇気がいる。「あの一歩が自分の中では大きかったですね。そこから挑戦する、変わるということをポジティブに捉えられるようになりました」と振り返る。

「視野を広げたり、少し狭めて一点を見るようにしたりすると、その切り替えでいろいろな発見が生まれたり、課題がクリアできたりすることがある。それがどんどん自分の中に蓄積されてきた実感があります」

 勇気を持って変化の道へ踏み出すと、試行錯誤を繰り返しながらも競技成績は飛躍的にアップ。次第に国際大会でもトップを争う存在となり、その後、出場したオリンピックでの活躍は前述の通りだ。

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