インタビュー

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インタビュー

競技復帰を決意させた東京パラリンピック 未来へ繋ぐ感謝のバトン

パラバドミントン 鈴木亜弥子さん

東京パラリンピック決勝で長年のライバルと対戦「やってきたな…」

 東京パラリンピックを終え、現役生活に幕を下ろした選手がいる。元パラバドミントン日本代表の鈴木亜弥子さんだ。女子シングルスSU5(上肢障がい)で銀メダル、女子ダブルスSL(下肢障がい)/SUで銅メダルを獲得。目標の金メダルには一歩及ばなかったが、「引退することに悔いはありません」と穏やかに微笑む。

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 これが2度目の引退となる。1度目は2010年12月のこと。中国・広州で開催されたアジアパラ競技大会で金メダルを獲得し、競技生活にピリオドを打った。前年に韓国で行われたパラバドミントン世界選手権でも優勝。当時のパラバドミントン界における2大大会を制し、世界ランキングも1位と極め、「これ以上の大会がないなら引退しよう」とラケットを置いた。

 それから4年後の2014年。競技から完全に離れていた鈴木さんの元にニュースが飛び込んできた。「東京パラリンピックからパラバドミントンが正式種目になったと父親から聞きました」。当初は「へぇ、そうなんだ」と聞き流す程度だったが、次第に「4年に一度行われるパラリンピックは格が違う特別なもの」と心の中に変化が生まれた。1年間、考えに考え抜いた末に選んだのが「現役復帰」の道だった。

「引退して5年のブランクがありましたが、60歳になって人生を振り返った時に後悔したくない。そう思って復帰を決めました。当時の実力で通用するかも分からなかったですし、怪我をして出られなくなる可能性もあった。それでも挑戦しなかったら、ずっと心の中にモヤモヤが残ってしまう。挑戦した結果、出られなかったら仕方ないことですから」

 両親や姉の影響もあり、小学3年生から始めたバドミントン。地道なトレーニングで体力と筋力が上がるにつれ、身体に染みついていた技術が輝きを取り戻した。2016年2月の日本障がい者バドミントン選手権で優勝すると、国際大会でも次々に優勝。向かう所敵なしだった鈴木さんの前に立ちはだかったのが、好敵手として競い合うことになる中国の楊秋霞選手だった。

「2016年11月の(パラバドミントン)アジア選手権で初めて対戦して、初めてパラバドミントンで負けました。『この選手には勝たないといけない』と心に火がつきました。そこからの国際大会は、決勝でお互いに勝ったり負けたりの間柄。楊選手は私にしか負けていませんし、私も楊選手にしか負けたことがないので、東京パラリンピックでも決勝で対戦すると予想していました」

 その予想は見事的中。パラリンピック決勝の相手は、互いに手の内を知り尽くした楊選手だった。

 ただ、昨年来のコロナ禍により東京パラリンピックは開催が1年延期され、国際大会は軒並み中止。楊選手との対戦は、2019年11月のJAPANパラバドミントン国際大会決勝以来となった。「1年10ヵ月の間、彼女の最新動画を見ることもできなかったので、どう仕上げてきたのか楽しみでした。私もフットワークを改善していたので、決勝前はすごくワクワクしていました」と振り返る。

 久しぶりにコート上で対峙する楊選手は「身体をすごく絞ってきていましたし、シャトルのスピードが増し、角度も鋭くなっていました」。即座にライバルの進化を感じ取り、「やってきたな……」と闘争心を掻き立てられた。

結果は0-2のストレート負け。それでも程よい緊張感の中、課題だったフットワークは「今まで練習してきたことが本番で出せました」と悔いはない。むしろ、「楊選手がいなかったら、ここまで頑張ることはなかったと思います。自分のバドミントンを改善することもなかったかもしれないので、本当に彼女がいてよかったと思います」と、互いを高め合ったライバルには感謝の気持ちしかない。

◆次ページ:パラバドミントンの魅力は「クラスによって戦略が変わるところ」

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