インタビュー

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インタビュー

創意工夫が生んだ大飛躍 一矢に込めるパラスポーツ普及への想い

パラアーチェリー 岡崎愛子選手

自国開催で芽生えたパラリンピック出場の夢「私も出てみたい」

 夢を叶えた大舞台だった。8月27日、東京・夢の島公園アーチェリー場で行われた東京パラリンピック・アーチェリー女子個人(W1)ランキングラウンド(マッチ戦の対戦相手を決めるためのラウンド)。日本代表の岡崎愛子選手は「緊張しすぎて、予選の最初の方で手に筋収縮が起きてしまって……。いつもは起こらないのに、弓を握った手にグッと入った力が全然抜けませんでした」と苦笑いで振り返る。

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 不測の事態が起きても、「最初にいきなり悪い点数が出たので開き直れました」と冷静な自分もいた。いつも狙うのは的の中心にある黄色く塗られた部分。だが、この時は一つ外側の赤い部分まで狙いを広げ、自分を不用意に追い込むのをやめた。次第に筋収縮は収まり、無事ランキングラウンドを通過。9月1日の決勝トーナメントでは、金メダルを獲得した陳敏儀(中国)に準々決勝で敗れたが5位。大山晃司選手と臨んだ混合団体(W1)に続く入賞を飾った。

 競技を始めたきっかけは、2013年に決定した東京オリンピック・パラリンピック開催だった。母国で開催される千載一遇のチャンス。元々スポーツが大好きだった岡崎選手の好奇心がくすぐられた。「私も出てみたい」という気持ちから、四肢麻痺という比較的重い障がいがあってもチャレンジできそうな競技を探したところ、射撃という選択肢もあったが、「大学時代にやっていた母の勧めもあって」という縁でアーチェリーを始めた。

 頸髄損傷により首から下が麻痺しているため、車いすで日常生活を送っている。大学2年だった2005年の春、通学で乗車していたJR福知山線が脱線する大事故に遭い、一命は取り留めたものの生活は一変した。それでも1年以上に及ぶ入院生活の後に大学へ復学し、一般企業に就職するなど、前進することだけは止めなかった。

 そんな中で出会ったアーチェリーは、文字通りゼロからのスタートだった。

「私はそもそも握力がないので弓を持つことが無理。ましてや弦を引くなんて。最初は自分にできるかどうかも分からなかったので、東京都障害者総合スポーツセンターに行って『私でもアーチェリーをできますか?』と相談したところ、初心者クラスにはいろいろ教えてくれる人もいるから1回体験に来てみては、ということで始めました」

 パラリンピックで行われるパラアーチェリーは、障がいの違いに関係なく使用する弓の種類で区分される「リカーブ」と「コンパウンド」、そして弓の区別はないが四肢の障がいにより車いすを使う「W1」の3部門に分かれており、岡崎選手は「W1」でプレーする。「W1」で狙うのは、50メートル離れた場所にある直径80センチの的。的の一番中心にある黄色い部分は直径8センチで最も高い10点が得られるが、どのくらいの距離感なのかイメージしづらい人も多いだろう。

「東京・渋谷にある商業施設『109』の高さが約50メートルで、的の中心はSuicaなど交通系ICカードの横幅と同じくらい。なので、渋谷109の頂上にあるSuicaを狙うイメージですね」

 肉眼では点としてですら捉えられない標的を狙うのだから、至難の業だ。東京パラリンピック出場を目標に掲げたものの、越えるべき壁は無数にも思えた。

◆次ページ:独学で作り上げた射形の基礎、幅を広げた強化指定選手としての学び

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