インタビュー

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インタビュー

甦った風を切る感覚と身体を動かす喜び パラカヌー界の星が語る原点

パラカヌー 瀬立モニカ選手

大怪我でカヌーを断念も、決意を揺るがした熱心な誘いのメール

 カヌーに魅せられた女性がいる。パラカヌー日本代表の瀬立モニカ選手だ。開幕が8月に迫る東京パラリンピックに出場が内定している瀬立選手は「生まれ育った東京の空気を吸ってレースができるのは、本当に大きなアドバンテージだと思います」と笑顔を咲かせる。

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 パラカヌーの会場、海の森水上競技場がある東京・江東区で生まれ育った。昔から水運が発達する下町ではその特色を生かすべく、2009年に区立中学校カヌー部を創設。中学の先生に勧められて体験会へ行くと、レジャー用カヌーは難なく乗れたが、競技用カヌーで大苦戦した。「競技用は10回以上転覆しても全然乗れなくて、その難しさに心惹かれました」と振り返る。

 幼い頃から活発でスポーツは得意。だからこそ、初めて味わうカヌーの難しさに魅せられた。何度も転覆を繰り返しながら次第にスキルアップしたが、高校1年生だった2013年、東京国体出場を目指す過程で、運命は大きく方向を変えた。体育の授業中に大怪我を負い、車いす生活になったのだ。

「もう自分がカヌーに乗ることは一生ない、カヌーを見ることもないと思っていました」

 東京オリンピック・パラリンピックの開催が正式決定したニュースを聞いたのは、病院のベッドの上だった。「自分がパラリンピックに出るとは思っていなかったので、全くの他人事でしたね。母に『パラリンピックを目指してみたら』と言われた時にカチンときて『なんてことを言うの!』と思ったのを覚えています」と笑う。

 怪我から約1年が過ぎた2014年夏。瀬立選手の元にメールが届いた。差出人は中学時代にお世話になった江東区カヌー協会元事務局長の小宮次夫氏。パラカヌー選手としてパラリンピックを目指してみないか、という誘いだった。

「江東区の事業の一環としてパラリンピアンを発掘することになり、私に声が掛かりました。でも、スポーツはできないと思っていたし、カヌーに乗る自分をイメージできなかったので、メールは無視。なのに、あまりにしつこくて(笑)。とりあえずカヌーに乗って、落ちて、乗れないことを証明することにしました」

 だが、小宮氏が一枚上手だった。用意されていたのは競技用より安定感のあるカヌーで「自分から川に飛び込まないと転覆しないような舟」。安全対策も万全だった。観念してカヌーに乗ると、心の奥深くに閉じ込められていた感情が一気に溢れた。

「怪我をしてからもう感じることはできないだろうと思っていた身体を動かす喜び。学校の体育では見学しかできないストレス。カヌーに乗り、風を切る感覚を再び味わったことでそういった感情が一気に爆発しました。本当に楽しくて楽しくて。またカヌーをやるんだったらパラリンピックを目指そうと、そこから挑戦が始まりました。今となっては諦めずメールを下さった小宮先生に感謝です(笑)」

◆次ページ:パラカヌーに転向して2年でリオデジャネイロパラリンピック出場も「あまりにも情けなくて恥ずかしくて」

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