インタビュー

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インタビュー

「無理せず楽しく」ポジティブ思考の金メダリストが説くランニングのススメ

引退後、走ることから離れた野口みずきさんが再び走り始めた理由とは…

 日本にランニングブームが巻き起こって久しいが、コロナ禍によるステイホームやリモートワークが推進される中、ランニングを楽しむ人々はさらにその数を増したようだ。老若男女を問わず、ランナーが街を駆ける姿が日常風景となった様子に「生涯スポーツとして、何かに縛られず、無理をしないで、長く楽しんでほしいですね」と目を細める人がいる。その人こそ、2004年アテネオリンピックの女子マラソンで金メダルを獲得した野口みずきさんだ。

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 2016年に現役を引退した後は一時、走ることから遠ざかっていた。だが、1年ほど経過すると「やっぱり走りたい」という気持ちが湧いてきたという。

「現役時代は、もちろん目標ありきで戦うために走っていたので、練習量も含めてキツイことが多かったんですが、目標があるから乗り越えられた。でも、引退した時は身体が疲れ切っていたので、一旦走ることをやめてリセットすることにしました。1年近く走らなかったんですけど、やっぱり健康維持には必要なのかなと。メンタル面でも、朝、清々しい気持ちの中で走って汗をいっぱい流したら、1日が楽しく過ごせるように感じられて、やっぱり走ることっていいなって思いました」

 野口さんもまた、コロナ禍の影響でランニング人口が増えたと感じているそうで「自粛期間が長くなって、身体がウズウズする人が多いんでしょうね」と話す。ステイホーム期間を機にリモートワークを増やす企業も多く、自宅でのオンオフの切り替えにランニングを取り入れる人も多いようだ。

「長時間デスクでパソコンや書類に向き合っていると、無になる時間は必要なんだと思います。走ると無になれるし、頭の中がクリアになって次の仕事に取り組めるし、いいアイディアも浮かんだりするんでしょうね。ランニングだったらシューズさえあれば気軽にできますし、ランニングする人が増えるのは素晴らしいことだと思います」

 ランニングを長く続けるコツは「無理をしないで楽しむこと」だという。

「最近のランニングブームで、走ることは苦しい、という概念が変わってきていると思います。ただ苦しいだけではなく、楽しいランニングライフを送っていただきたいですね。無理をすると熱中症になったり、命に関わることもある。身体がキツいと思ったら、勇気を持って走らないことも必要です。70%くらいのところで楽しく走っていただきたいですね」

友人の誘いで陸上部へ「彼女が誘ってくれなかったら金メダルを獲れなかった」

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 2020年8月にはテレビ番組のチャリティ企画で40キロを完走したり、各地で開催されるランニング教室やイベントに参加したり、現在もランニングとは切っても切れない関係にある野口さんだが、陸上を始めたきっかけは中学校入学時に受けた友人の誘いだった。

「自分ではバスケットボール部とか他の部活に入ろうと考えていたんです。その友達は1年以内に陸上部を辞めてしまいましたが、彼女が誘ってくれなかったら金メダルを獲れていなかったでしょうね(笑)」

 陸上部では顧問の先生の方針で、数か月間は短距離、長距離、跳躍、投てきと、あらゆる種目を一通り経験した。だが、冬のある日、地元の駅伝大会のメンバーとして駆り出されると、練習で先輩を超える好タイムを記録。これをきっかけに長距離を専門とするようになった。学年を重ねるごとに、大会での成績や記録もアップ。進路選択の際、恩師から陸上が盛んな三重県立宇治山田商業高等学校への進学を勧められ、自信が湧いてきたという。

「最終的には自分で判断するんですけど、最初に少しポンっと背中を押してもらえると、すごく乗るタイプ。そこからみんなの期待や想像を超えることをやりたいって思ってしまうんです。性格が前向きな方なので、それが上手く競技力を上げてくれたのかなと思います。高校に入ってからも、階段を一段一段上がるようにステップアップすることができました」

意識を変えた「チームハローワーク」時代 「それまでの環境が特別だったと気づきました」

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 明るく前向きな性格であることは、その表情や発する言葉の端々から窺い知ることができる。「私は運がいいような気がします。信じれば救われるではないですけど、前向きに気持ちを持っていくと物事がプラスの方に働くような気がする」と話す野口さんだが、ポジティブ思考に変わったのは「チームハローワーク」時代の経験があったからだ。

 高校卒業と同時に入社したワコールを離れ、次の所属先となるグローバリーに入るまで、1998年10月からの4か月間、野口さんはどこの企業にも所属せず現役を続けた。傍から見れば、先行きが不透明で不安な時間を過ごしていたように思えるが「そんなことは全然なくて、むしろありがたい機会でした」と振り返る。

「実業団1年目の頃は、お給料をもらって好きな陸上をやらせてもらっている有り難さに気づかなかったんです。でも、ハローワーク時代には自分で栄養の勉強もしながら交替制で食事を作ったりして、それまでの環境が特別だったと気づいたんですね。その時、次に受け入れてくれるチームではしっかり結果で返さないといけない、と考え方が変わりました。実業団はアマチュアスポーツのようではありますが、お給料をいただいている以上はプロという感じがして、プロ意識が芽生えたんです。そこから自己記録を更新することができました」

 この4か月間が「心の成長に繋がった」という野口さん。その後、ハーフマラソンを中心に取り組むと、出場する大会で軒並み優勝を飾り、「ハーフマラソンの女王」という異名をとるまでになる。「狙ったレースは逃したくない」という気持ちの強さも芽生え、初マラソンとなった2002年の名古屋国際女子マラソンではいきなり優勝。順調に経験と自信を積み重ねた結果が、アテネオリンピックでの金メダル獲得に繋がった。

 2大会連続出場が決まっていた2008年の北京オリンピックでは、直前に足を故障し、無念の出場辞退。「さすがに『辞めたい』と思うくらい気持ちがネガティブに行きがちだった」というが、練習場所の近くで毎日すれ違う人々やファンから寄せられた言葉に「負けずに次を目指すしかない」と奮起した。辛い経験ではあったが「その当時の私には必要だったのかもしれない」と前向きに捉え、その結果、2016年まで長い現役生活を送ることになる。

「全世界の人たちが立ち上がるためのオリンピック、立ち上がったという証明のオリンピックに」

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 2020年に開催予定だった東京オリンピックは、コロナ禍により1年延期となった。一時、活動が止まったスポーツ界は少しずつ再開しているが、野口さんは「スポーツのない世界は考えにくい」と改めて実感したという。世界中に新型コロナウイルス感染症が蔓延し始めた2020年3月には、日本人最初の聖火ランナーとしてギリシャのオリンピアを走り、「希望を持って灯り続けてほしい」と願った。それだけに、2021年の東京オリンピックは「全世界の人たちが立ち上がるためのオリンピック、立ち上がったという証明のオリンピックになれたら素晴らしいですね」と想いを込める。

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 現役時代には自身も助成金のサポートを受けていたという野口さんは「アスリートの物語はただ美しいだけではなく、お金がかかる現実もある。その中でスポーツを支える取り組みがあることに、アスリートは感謝しなければいけないと思います。何も知らずに強くなるのではなく、サポートの仕組みをしっかり知って、感謝をして、結果を出して、お返しをしてほしいですね」と話す。

 長い現役生活をサポートしてくれた社会に恩返しをするため、野口さんはこれからもイベントやランニングクリニックに参加しながら、普及活動に励む予定だという。

「現役時代にたくさんの応援をいただいて成績を残すことができたので、イベントやクリニックを通じて、皆さんに『ありがとう』とお返しをしていければと思います」

 引退後も心に残る感謝の気持ちをモチベーションに、ランニングをはじめとするスポーツの楽しさを伝え続けていく。

(リモートでの取材を実施)

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野口 みずきのぐち みずき

1978年7月3日、神奈川県生まれ、三重県出身。岩谷産業陸上競技部アドバイザー。中学校入学時に友人に誘われて陸上部へ入部し、長距離を専門とする。陸上が盛んな三重県立宇治山田商業高等学校に進むと、3,000メートルで全国高等学校総合体育大会(インターハイ)に出場。駅伝でも頭角を現し、卒業と同時に名門・ワコールに入社する。2年目の1998年10月にワコールを離れ、どこの企業にも所属せず現役を続行。1999年2月にグローバリーに入社すると、ハーフマラソンで圧倒的な強さを見せた。2001年には10,000メートルの日本代表として世界陸上競技選手権大会に出場。2002年にマラソンに転向すると、同年の名古屋国際女子マラソンで初マラソン初優勝を飾った。2003年の世界陸上競技選手権大会では女子マラソンで銀メダルを獲得すると、2004年のアテネオリンピックでは気温30度を超える中で力走し、金メダルを獲得。2008年の北京オリンピックでも2大会連続となる出場権を得ていたが、直前の故障で出場を辞退。度重なる怪我に悩まされながらも、2016年まで現役生活を続けた。

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