インタビュー

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インタビュー

1.6秒の儚さに込める「生き様」 ベテラン飛込選手が臨む6度目の挑戦

オリンピック5大会出場の寺内健選手を惹きつける飛込競技の魅力

 競技歴は30年。アスリートとしてはベテラン中のベテランだが、日本飛込界をけん引する寺内健選手に衰える様子は全くない。2020年8月に誕生日を迎えれば“不惑”(40歳)となるが、その実感は「競技に関しては全くないです」とキッパリ言い切る。

 だが、その直後「ただ一つ……」と照れくさそうに笑いながら、昨年から飛込界を賑わせている13歳の新星、玉井陸斗選手とのエピソードを披露した。玉井選手はJSS宝塚スイミングスクールの後輩であり、チームメイトでもある。

「(新型コロナウイルス感染症拡大の影響で)外出自粛になってから、彼がオンラインのサバイバルゲームをしているというので、僕もやり始めたんです。ただ、ゲームの中で敵を倒す時に、敵がどこにいるか、僕は全く見えない。でも、陸斗はすぐに『健くん、あそこにいますよ』と的確に見つけてくれる。そんな時、少し老いを感じます(笑)」

 競技者としてストイックな姿勢を見せる一方で、人としては親しみやすい柔らかな一面も持つ。寺内選手が持つそのギャップが、多くの人を惹きつける魅力の一つなのかもしれない。

 生後7か月でJSS宝塚スイミングスクールに通い始め、小学5年生で飛込に転向した。北京オリンピック後の2009年に現役を引退したが、2年後に復帰。新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、2か月ほどプールから離れる日々が続いたが、「こんなにプールに行かないのは今までにないことですね」。プールは「生活の一部どころか、生活の全てになっている気がします」と話すほどの運命共同体でもある。

 10歳で始めた飛込とは、もう30年近い付き合いになるが、決して飽きることはない。ここまで惹きつけられる競技の魅力はどこにあるのか。

「審判の方に採点してもらう競技ですので、スキルとしての美しさやダイナミックさを見ていただくとともに、自分がアスリートとして普段の生活から培った生き様を見ていただく。それが試合のパフォーマンスで発揮された感動で、審判は10点という満点を出してくださるのだと思います。自分を律し、日々のトレーニング以外の時間も刺激やエネルギーに感じ、チャレンジできる。それがこの競技の魅力だと思います」

意識を変えたアトランタオリンピック「現地の方がみんなで歓迎してくれた」

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 大会での演技時間は、1回の試技につきおよそ1.6秒。このわずかな時間のために、きついトレーニングにも耐え、何度も練習を繰り返す。さらに「飛込で美を追究していると言いながら、歩く姿勢が猫背だったら嫌だろうな」と、普段の立ち居振る舞いにも細やかな気配りをしている。「自分が飛込選手だという気持ちは常に持っています」と話すが、競技者としての高い意識を植え付けてくれたのは、恩師の馬淵崇英コーチだった。

「中学1年生から高校3年生まで、ものすごく苦しい練習で、毎日コーチに怒られていました。その中でコーチに伝えられたのが、競技として結果を出すだけがアスリートじゃないということ。まずは人間力があって、その上に競技力が積み重なるんだと。だからこそ、普段からどんな苦しい状況でも笑うことは大事だし、元気で明るくいることも大事。いろいろな人から見られていることを意識するように、とコーチから伝えられました」

 もう一つ、意識を変えてくれた経験がある。それが1996年、高校1年生で出場したアトランタオリンピックだった。初めて立ったオリンピックの舞台は、想像していたものとは少し違ったという。

「実際にオリンピックの舞台に立つと、自分が思っていた以上の大きな声援をかけていただきました。大きな会場でたくさんの観客の前でパフォーマンスをする中で、アメリカの方たちは自分のことなんて知らなくても『頑張れ~!』と声を掛けてくださる。なんだか思っていたオリンピックとは違ったんですよね。もっと殺伐としたものかと思っていたら、現地の方がみんなで歓迎してくれたことに、すごく感動を覚えました。いろいろな方が応援してくれる、支えてくれる。そういう意識がさらに強くなりました」

 アトランタでオリンピックの魅力に取り憑かれて以来、ここまでシドニー、アテネ、北京、リオデジャネイロと5大会に出場している。そして、2021年に延期された東京オリンピックでは6度目の出場が内定している。

 5回出場しているから、なのか、5回出場していても、なのか、寺内選手にとってオリンピックは特別な場所であり続けている。

「5回出場させてもらっていても、回数を重ねるたびに怖くなるくらい緊張感が伴います。オリンピックっていうのは、向き合いたくもない、でもやはり目指したい。そういう矛盾が自分の中にあるんですね。試合が一週間後に迫ってくると、早く終わってほしいと同時に、来てほしくない。いつも、そういう複雑な心境の中で本番を迎えるんです。でも、オリンピック以外の大会では表彰台に乗らせてもらったことがある中で、まだ成し得ていないオリンピックの表彰台はどんな景色なんだろう。そこにチャレンジしたい。オリンピックはそう思わせるんだな、と思いますね」

坂井丞選手と臨むシンクロ種目「二人が一人に見えるようなパフォーマンスを」

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 初出場のアトランタでは、現地から両親に手紙を書いたが、到着したのは帰国した後だった。パソコンを買って向かったシドニーでは、ダイヤルアップで長い時間を要したが、メールを送った。「今は携帯アプリで無料で話せますからね。時代の移り変わりの速さを痛感する5大会でした」と笑うが、寺内選手自身も進化を止めない。

 東京オリンピックでは、個人とシンクロの2種目に出場予定。いずれも表彰台に向けて確かな手応えを感じているが、特に坂井丞選手と臨むシンクロは楽しみすら覚えているようだ。

「シンクロは二人の息がピッタリ合い、二人が一人に見えるようなパフォーマンスをすることが一番の面白さ。ただ、合わせようと思うと合わなくて、合わなくてもいいかと開き直った瞬間にものすごく同調するんです。そもそも相方の坂井とは全く違う性格で、僕は几帳面で、坂井は大ざっぱ。でも、シンクロを目指すにあたり、お互いが譲歩し進んできた。海外遠征で同部屋になることが多い中で、この5年くらいの道のりでいい雰囲気が出来上がってきました」

 二人がペアを組んだのは、偶然だった。互いに個人として出場した大会で、関係者に勧められて急造ペアでシンクロに出場。わずか1日の練習で優勝したことをきっかけに、今でもペアを続ける。だが、不思議なことに「この5年間で何試合もやってきた中で、まだ初戦のクオリティを超えられないんです」。そこで、ここ1年ほどは演技を合わせることは意識せず、互いのスキルを磨いて自信をつけることに専念。二人になった時は最初の歩き出すタイミングだけ合わせる意識を持つと、「初戦を超えるものができてきたという感覚」を掴み始めたという。

 今なお第一線で活躍し続ける寺内選手にとって、最大のモチベーションはやはりオリンピックでのメダル獲得だ。「僕自身、5大会でまだ一度も獲れていない。もっと言うと、日本の飛込界では誰も獲れていない。自分が第1号になるということを目指しています」。時には経験を積んだベテランらしく熟考しながら、時には子どものようにがむしゃらに自分を追い込みながら、「1%、2%の伸びしろを伸ばすために、いろいろチャレンジしています」と突き進む。

さまざまなサポートに感謝「そのおかげで、選手は輝ける場所を見つけられている」

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 世界的に大流行する新型コロナウイルスは、スポーツ界にも大きな影響を与えた。東京オリンピックは1年延期となり、国内外で数多くの大会が中止・延期に追い込まれている。寺内選手も「少しショックはあった」と明かすが、「我々はアスリートである前に国民の一人として、この状況を収束させることが最優先」と気持ちを切り替え、できる練習を続ける日々だ。もちろん、まだコロナ禍が収まらない現状で、オリンピック開催に対して懐疑的な声や否定的な声があることも知っている。だからこそ、「人命が最優先。世の中が平穏無事であることを大前提にオリンピックは行われるもの」という想いを持ちながら、無事に開催されることを願う。

「こんな時だからオリンピックはやるべきではないと思っている方も、来年になって『やっぱりオリンピックをやってよかった』『スポーツ選手たちの頑張りで勇気をもらえた』と思ってもらえる大会にしたいですね。そのためにも、僕たちアスリートは競技の結果もそうですし、もう一方で常に言動に責任を持って、謙虚な姿勢を持っておかないといけないと感じます」

 オリンピックという大きな目標に向かいながら、同時に各地で競技の普及活動にも励む寺内選手。各都道府県にあるプールやスポーツ施設を訪れる際、よく目にするのがスポーツくじ(toto・BIG)のロゴマークだという。スポーツくじの収益による助成金は、飛込プールのダイビングボードをはじめとした水泳競技のみならず、他の競技も含めたトップ選手からジュニア世代、さらに地域の人々がスポーツに親しむための環境整備や、大会の開催、有望選手の発掘・育成事業など、さまざまな形で役立てられている。

「全国を回って自分がパフォーマンスする姿を見せて、子どもたちが競技を続ける手助けをしてあげたいと思っています。今、飛込競技をしている選手もそうですし、興味を持っている地域の子どもたちにも経験してもらいたい。そう思って各都道府県を訪問すると、いろいろなスポーツ施設でスポーツくじのロゴを見かけます。スポーツはいろいろな方の支えがあって成り立つもの。コーチやトレーナー、家族はもちろん、スポーツくじを購入してくださる方々のおかげで、選手は輝ける場所を見つけられている。その感謝は忘れずにいたいですね」

 さまざまなサポートに最高の形で応えるためにも、目指すは東京オリンピックでのメダル獲得だ。表彰台に立つ自分の姿は「常にイメージしています」と話す。

「競技が終わって表彰台の上でガッツポーズをしているイメージは常にしています。日本の飛込界が発展するためにも、子どもたちに『飛込選手ってカッコいいな』と思ってもらえるようなパフォーマンスをして、メダルを獲ること。それが自分の今の夢です」

 調子がいい時には5秒にも6秒にも感じ、悪い時には1秒にも満たない感覚を持つという「1.6秒」のパフォーマンス。儚くも美しい、その瞬間にアスリートとしての生き様を込める。

(2020年5月、リモートでの取材を実施)

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寺内 健てらうち けん

1980年8月7日、兵庫県生まれ。ミキハウス所属。生後7か月で元オリンピック選手の馬淵良・かの子夫妻が経営するJSS宝塚スイミングスクールで水泳を始める。小学5年生の時、恩師となる馬淵崇英コーチに誘われて飛込に転向。中学2年生で出場した日本選手権の高飛込で史上最年少優勝を果たすと、此花学院高等学校1年の1996年にはアトランタオリンピックに出場し、高飛込で決勝進出を果たした。その後、飛込界のエースとして、オリンピックはシドニー大会、アテネ大会、北京大会に出場。常連となった世界選手権では、2001年に3メートル飛板飛込で銅メダルを獲得した。2009年に現役を引退し、一時はサラリーマンとして働いたが、2011年に現役復帰。2016年のリオデジャネイロオリンピックに出場し、2021年に開催予定の東京オリンピックでは個人とシンクロの2種目で出場が内定している。

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