インタビュー

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インタビュー

なぜ苦手に挑戦するのか 十種競技の日本記録保持者が語る人生との共通点

日本人で初めて8,000点を超えた男、右代啓祐の歩む道

 優勝者は「キング・オブ・アスリート」と称えられる陸上競技がある。それが、十種競技だ。「走・跳・投」という陸上のあらゆる要素が詰まったこの競技は、欧米での人気は高いが、日本ではなじみが薄い。だが、その十種競技に出会い、魅せられ、追い求める日本人がいる。2012年ロンドン大会、2016年リオデジャネイロ大会とオリンピックに2大会連続出場中の右代啓祐選手だ。日本人で初めて8,000点の大台を超え、現日本記録8,308点まで3度も記録を更新した第一人者は今、東京オリンピック出場を目指し、研鑽(けんさん)の日々を送る。

 そもそも、十種競技とはどんなスポーツなのか。2日間で合計10種目を行い、各記録を得点に換算し、その合計得点を競うもの。通常、1日目には100メートル、走幅跳、砲丸投、走高跳、400メートルの5種目、2日目には110メートルハードル、円盤投、棒高跳、やり投、1500メートルの5種目が行われる。同じ陸上競技に分類されるものの、短距離、中長距離、跳躍、投擲(とうてき)では使う筋肉はもちろん、トレーニング方法が大きく異なるため、全ての種目でトップの成績を収めることは難しい。それだけに、2日間にわたる激闘を終えた時、その頂点を極めた者は皆から称えられる。

 右代選手と十種競技の出会いは2003年、高校2年生の冬だった。地元・北海道の札幌第一高等学校で走高跳とやり投に励んでいたが、ある日、陸上部の大町和敏監督から八種競技への転向を打診された。体育の授業でバレーボールをすれば簡単にバックアタックを決め、ソフトボール大会で打席に立てば軽々とホームラン。そんなオールマイティーさを見抜いた上での誘いだったが、当初は「やったことがない種目が5種目くらいあったので『先生、それはできません』と断っていました」と苦笑いする。それでも監督の変わらぬ熱意に動かされて挑戦を決意。すると、高校3年生の時、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)で2位という結果を収めた。

 競技を始めて、わずか半年。「気が付いたら表彰台に上っていたので、もっと本格的に取り組んだら日本のトップになれるかもしれないと感じましたし、自分の中で『何でもできる人って格好いい』と思ったんです」。卒業後に進んだ国士舘大学では、迷うことなく十種競技の道を進んだ。

 日本の十種競技において、長らく破られていない記録があった。1993年に金子宗弘氏が打ち立てた7,995点という数字だ。世界の猛者と同じ舞台で戦うために、目安とされるのが8,000点。この大台まで5点に迫る大記録は18年間も破られずにいたが、2011年6月の日本陸上競技選手権大会で歴史は塗り替えられた。大学院を卒業し、社会人1年目として挑んだ右代選手が8,073点をマーク。日本人初の8,000点超えを果たしたのだ。

「学生の時、目標を発表する場で『8,000点を獲ります』と言ったら、クスッと笑われたんです。当時、8,000点を超えられるなんて誰も思っていないから『言ったな、アイツ』みたいな感じで。ただ、僕はビッグマウスで言ったつもりはなく、できると思ったことを自信を持って言った。自分の中では絶対に8,000点を獲れるポテンシャルはあると思っていました。だから、初めて8,000点を超えた時は、誰も知らない領域に入れたことはうれしかったけれど、『まだまだ俺はこんなもんじゃないよ』という気持ちが強かったですね」

人生にも通じる「苦手なものを苦手と思わず、得意なものに変えるために行動すること」

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 まだまだ、こんなもんじゃない——。

 右代選手が得意種目に専念せず、苦手種目も含まれる十種競技を究めようとする根底には、「まだまだ」と自身が持つポテンシャルに挑戦し続ける姿勢がある。

「昔は得意な種目しか練習しなかったので、大学卒業の頃に成績が伸び悩んだ。そこで苦手なものと向き合うことは大切だと感じました。僕は走ることが苦手なので、まず自分が考える速く走るための要素を書き出したら、ほんのちょっとしかなかったんです(笑)。そこで速く走るためにはどんな要素が必要で、その中で自分は何が苦手なのかを考えたり、人にアドバイスをもらったりしながら、少しずつ得意なものに変えていくクセをつけました」

 苦手な分野は、裏を返せば、自分の中に眠る未開発の領域でもある。得意で積極的に取り組んできた分野以上に、そこには飛躍的に成長する可能性が溢れている。これは十種競技に限らず、人生にも当てはまることだと右代選手は言う。

「苦手なものを苦手と思わず、得意なものに変えるために行動することが、すごく大事だと思うんです。大学院時代に2年間ほど(現タレントで、十種競技の元日本陸上競技選手権大会優勝者である)武井壮さんに指導していただいた際、思い通りに倒立歩行できない自分に気付かされました。止まったり歩き出したり、自分の身体をコントロールできなかったんです。そこで上手く身体をコントロールできるように、苦手なマット運動から克服していきました。倒立ができるようになって、倒立歩行、バック転、バック宙と徐々にクリアしていくと、いつしか進んで『やりたい』と思えるようになりました。今でも、苦手なものを簡単なことからクリアして自信を付けていく作業の繰り返しです。人生にも苦手なことはたくさんあるじゃないですか。そこに繋がっていくと思うんですよね。十種競技を通じて苦手を得意に変える方法をたくさん見つけ出せるようになりました。人間を大きくする魅力のあるスポーツです」

 東京オリンピックは、子どもから大人まで幅広い年齢層の人々に十種競技の魅力を知ってもらうチャンスでもある。1人でも多くの人に伝えるためにも、右代選手は3大会連続となるオリンピック出場を目指している。

「僕は中学生の時は全国大会に出たことがありません。そんな選手でもコツコツ努力を積み上げれば、34歳になる年になっても日本で勝ち続けたり、オリンピックのような舞台にも出られるようになる、というのを見てもらいたいですね。子どもでも大人でも共感したり、自分にも可能性があると感じてもらえると思います。諦めないのは、悪あがきではなく、目標に向かって自分が向上するための取り組み。自分で言うのは恥ずかしいですけど、格好いいことだと思っています」

かけっこ教室や講演会で子どもたちに宣言「僕は夢を叶えるよ。有言実行するよ」

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 爽やかな笑顔を浮かべながら発する言葉からは、常に真っ直ぐな気持ちで競技と向かい合う姿勢を感じる。自身に発破をかける意味でも、オフの日を利用して行う、かけっこ教室や講演活動で、子どもたちに伝えていることがある。

「『僕は夢を叶えるよ。有言実行するよ』と伝えています。オリンピックで、たくさんの人に日本人はここまでできると証明したいし、子どもたちが『あの時の人、有言実行できた!』と思ってくれたら夢を与えることにもなる。自分で自分の首を絞めている部分もありますが、そこは僕の挑戦。スポーツ選手としての価値を発揮するためにも、今できる最大限のことをやるようにしています。現役である限り、子どもたちは僕が頑張っている姿を見る機会があるので、一緒に頑張っている感じをより強く持てると思うんです」

 次世代を担う若きアスリートの良き手本、モチベーションを高めるきっかけになろうという右代選手。ジュニア世代の新たな才能の発掘や育成には、スポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成金が活用され、アンダーカテゴリーのサポートにも役立てられている。

「世界を目指すのであれば、日本を出て世界を見ないといけない。言葉、気候、練習環境などいろいろな違いがある中で、世界の舞台を自分のホームとして戦うためには、自分から学びに行く姿勢や行動する力が必要です。情報に溢れている時代なので、海外のコーチの映像を見て指導してもらいたいと思うかもしれない。その時に自分でアポイントメントを取れるかどうか。すべては自分の行動次第ですね。」

 東京オリンピックで有言実行するためにも、鹿児島にあるトレーニング施設や海外で合宿を重ね、2020年6月の日本陸上競技選手権大会優勝、そしてオリンピック参加標準記録となる8,350点以上、同参加目安となるワールドランク24位以内を目指す。オリンピックの話をする時、初めて出場したロンドン大会の光景がまざまざと甦ることがあるという。

「ロンドンでは8万人の観衆で埋まるスタジアムで競技をしました。100メートルを走る時、僕の名前が呼ばれた瞬間、8万人が拍手をして盛り上がってくれたんです。日本人はスタジアムにほんの一握りいるくらい。国籍なんて関係なく、僕に一度も会ったことのない人たちが『ウシロー!』と声援を送ってくれる。これがもう衝撃的でした。初めて出たオリンピックでたくさんの人に応援されて競技ができる幸せ。日本では何度も1位になったけれど、世界でメダルを獲るのはまた違うんだろうな、と。それがもし、自分の国、東京オリンピックでできたら、これ以上ない幸せですよね」

「キング・オブ・アスリート」を目指し、可能性に挑戦し続ける右代選手。その前向きで誠実な姿が発するメッセージは、真っ直ぐで力強い。

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右代 啓祐うしろ けいすけ

1986年7月24日、北海道生まれ。幼い頃からスポーツが得意で中学校入学後に陸上部に入部。札幌第一高等学校・大町和敏監督の勧めで八種競技を始め、初戦からいきなり北海道新記録(5,606点)をマークし、3年生の時には全国高等学校総合体育大会(インターハイ)で2位となった。国士舘大学進学後に十種競技を始め、大学院を経て2011年にスズキ入社。同年の日本陸上競技選手権大会で日本人初の8,000点超えとなる8,073点を記録し、同年の世界陸上競技選手権大会に出場した。2012年には十種競技では日本人として48年ぶりとなるオリンピック出場を果たし、2016年には2大会連続でオリンピックに出場した。2014年の日本陸上競技選手権大会で日本記録となる8,308点をマークした。

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