インタビュー

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インタビュー

No.1クライマーが壁に抱く思い 難しいほど「ワクワクするじゃないですか」

日本人初の世界選手権王者が見据える、金メダルへの道

 2020年の東京オリンピックで追加種目に採用されたスポーツクライミングは、世界的に人気が拡大しているスポーツだ。2016年にパリで行われた世界選手権のボルダリング種目で日本人初優勝を飾って以来、果敢に攻めるアクロバティックなスタイルで世界から“ニンジャ”と呼ばれる男がいる。2019年8月の世界選手権で、日本人初の複合種目での優勝という快挙を成し遂げ、オリンピック代表の切符を獲得した楢󠄀﨑智亜選手だ。

 目の前には高く、そりたつ壁。経験者でも立ちすくんでしまうようなウォールを、カラフルな色のホールド(手がかりになる突起物)に手をかけながら、すいすいと登っていく。若きクライマーは、東京オリンピックの表彰台という“高い壁”にも、真っ向から立ち向かう。

「完璧な優勝がしたい。どの種目でも1位を狙えるような実力をつけたい。現時点だと難しい部分があるんですけど、そこが狙えるように実力を上げていきたいですね」

 爽やかな笑みを浮かべながら“完全優勝”を力強く誓った楢󠄀﨑選手だが、なぜ壁を登り始めるようになったのか。

「幼稚園のころから器械体操をやっていたんですけど、小学校4年生の時に体操をやめてしまって。スポーツ全般が好きだったので、何か始めたいと思っていました。たまたま兄が家の近くのクライミングジムに通っていて、それについていったのが始まりです」

 当時はまだ、スポーツクライミングという名前もあまり浸透していなかったが、ゲーム感覚で次々と課題をクリアしていく面白さの虜になるまでに時間はかからなかった。

「始めはジャングルジムを登ったりするような感覚で、自由に遊んでいました。壁で鬼ごっこをしたりもしていました。続けていると、遊び感覚でも達成感が出てきます。気付けば毎日登るようになっていました。自由なところがすごく好きなんです。同じルートを登るにしても背の高い選手と、低い選手で攻略方法が違いますが、違う攻略方法でもお互いにクリアできるところがすごく面白いなと思いました」

 当時はオリンピック競技ではなかったが、競技にのめり込み、トップ選手と同じ舞台に上がるようになるにつれ、世界選手権やワールドカップで優勝することに憧れるのも自然な流れだった。

 2016年に東京オリンピックの追加種目として初めて採用されることが決定。「始めた当時は考えられなかった」という盛り上がりの中で迎える、オリンピックへ向けては今から胸を高鳴らせている。

「ワクワクしている気持ちが一番。早く勝負したいという想いです。東京オリンピックの実際の壁の完成予想図なども見てイメージしています。日本で試合に臨めるのは時差を調整する必要がないですし、環境も普段と一緒なので海外での試合と比べると負担が少ないだろうなと感じています。日本のファンの声援が聞こえるのは励みになります」

スピード、ボルダリング、リード…3種目の観戦ポイントは?

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 楢󠄀﨑選手にとって、スポーツクライミングにはどんな魅力があるのだろうか。初心者でも楽しめる観戦のポイントを聞いた。

「選手によって登り方の工夫が違うところや、どこで滑るかわからず、最後まで誰が勝つのかわからないのが面白いところじゃないでしょうか」

 スポーツクライミングには、タイムを競うスピード。課題を何本クリアできたかを競うボルダリング。登る高度を競うリードの3種目がある。それぞれに違った魅力、また要求される能力も全く異なってくるという。3種目の特徴について説明をしてもらった。

「まず1種目目はスピードクライミングです。高さ15メートルの壁に、どこの国でも共通のルートが引かれていて、それをいかに早く登れるかを競うというものですね。ちなみに世界記録は5秒48です。2種目目がボルダリング。時間内に設定されたコースを何本登り切ることができるかという数を競う競技で、予選が5課題、準決勝と決勝は4課題あります。そして3つ目がリードクライミング。高さ12メートル以上の壁にスタートとゴールが決められていて、いかにゴールに近づけるかを競います。

 スピードは瞬発力が最も必要。ボルダリングでは、いかに色々なムーブ(動き)に対応できるかが大事です。どれだけ動きの引き出しを持っていて、それを時間内に組み合わせられるかという能力が必要です。リードはほかの2種目よりも持久力が必要です」

 楢󠄀﨑選手が得意とするのはボルダリングだ。2016年、2019年の世界選手権で頂点に立っているが、ボルダリングで求められるのは何か一つの突出した力よりも総合力だという。

「何でもできる選手が強いと思います。例えば、いくつかの能力をグラフにしてみたときに、何かが欠けていると予選落ちしてしまう可能性もある種目です。本当にすべてができないといけません」

 では使う筋肉はどのように鍛えていくのだろうか。多くのアスリートが行っている筋力トレーニングをせずに、登りながら身体に教え込んでいくのが“楢󠄀﨑流”だ。

「選手によって違うと思いますが、僕の場合は登っている中で鍛えていくイメージです。できないものにトライして、攻略していくうちに強くなっていくことが多いです。僕の握力は50くらい(一般の成人男性と同程度)しかありませんが、ボルダリングにはさほど重要ではありません。指の力の方が大事です」

 意外にも体重も気にしていないという。「今は63キロくらいあって、他の選手に比べると重い方なんです。軽い方が負担は減るんですけど、パワーや持久力が落ちてしまって、不利になることもあります。大事なのは全体のバランスなんですよね」。一方で研ぎ澄まされた肉体の体脂肪率は驚異の数値だ。「正確にはわかりません。5%以下だと正しく出ないみたいです」と笑う。

 ボルダリングでは2度世界の頂点を極めた。2019年の世界選手権ではボルダリングと複合で2冠を達成したが、リードは4位、スピードは22位だった。課題となるリードとスピードの2種目を伸ばすために「リードが一番時間のかかる種目なので、今は半分くらいをリードの練習に使っています。冬場は寒いのもあって、スピードはあまりタイムが伸びないので、今はそこまで時間を費やしていませんが、暖かくなってから練習の時間を増やしていこうと思います。ボルダリングは色々な課題をおさえつつ、感覚を落とさないイメージですね」。普段の練習時間は1日8~9時間。壁をひたすら登り続けた結果、「指紋がなくなりました」と笑う。

壁を乗り越えて掴んだ世界選手権の金メダル「今に繋がっています」

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 そんな努力を重ねて世界のトップに上り詰めた若きクライマーだが、立ちはだかる壁に跳ね返された経験もあった。

「2015年ですね。前の年(2014年)にワールドカップ(5位)に出たんですけど、世界のトップにすぐに追いつけると思ったんですよね。それでプロになった。けど2015年は成績が落ちてしまって。勝てると思っていた相手に勝てなくなりました。

 当時はどうすればいいか分からず悩みました。練習では『自分はすごく強い』って感じているのに、大会では成績が伸びないことが続きました。初めての壁ですね。今までは勝ち負けを考えて勝負していたわけではなかったのですが、プロになって成績を出さなければいけないという気持ちも出てきて、だから余計に悩んだのかなと思います」

 高等学校を卒業したばかり、まだ10代だった楢󠄀﨑選手。何に気づき、どうやって乗り越えたのだろうか。

「僕は(登り方の)技だったり、チョイスだったり、引き出しが少ないと言われていて……。僕自身が強いと思っていたことは、僕が勝手に思っていただけだった。色々な方向から自分を見て、自分はここが弱いと気づけた場所を埋めるようになりました。先輩方にアドバイスをもらって、トレーニングも変えました。次の年に成績が伸びました。一つ壁に当たって、そこを乗り越えられたのが今に繋がっています」

 殻を破り、不振を脱した2016年、日本人選手で初めてとなる世界選手権優勝(ボルダリング種目)へとつなげたのだ。

「一つ上のステージに行けるようになりました」と充実感を口にした楢󠄀﨑選手。2017年にも転機があった。

「2016年は挑戦者の気持ちで臨んで、チャンピオンになったのですが、2017年は初めて追われる立場。自分は本当に世界で1番なのかという自信が持てなくなって……。ぎりぎりの瞬間に動きを選ぶ時に、“コースを設定した人のルート”と“自分の行きたいルート”で迷ってしまいました。今までは自分を信じて、自分の動きで進んでいたんですけど、安全なルートを選んでいました。なかなか勝ちきれなくて2位が続いて、そこで、どんな状況でも自分を信じ続けることが大事だと気づけました」

 自らの課題、弱点に気付けるのも強さの一つだ。

実は誰でも楽しめるクライミング「ハードルは高くありません」

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 競技の第一人者として、スポーツクライミングがこれだけ脚光を浴びるようになったことは素直に嬉しいと頬を緩める。

「スポーツクライミングをやっていると答えて、競技の名前自体を知らないという人が減ってきたと思います。僕が高校生くらいのころは、知っている人ですらすごく少なかったんですけど、今はやったことがある人も多いですよね。街で僕に気づいてくれて、声をかけられたときは嬉しいです。注目されるのはすごく嬉しいです」

 今や一般層にも広く認知され、実際に楽しめるスポーツとしても広く普及している。運動能力が必要と思われがちだが、未経験者でも手軽に始められる競技だと強調する。

「クライミングって運動能力が必要なスポーツではなくて、実は運動神経が良くない選手もたくさんいます。大会に出るということでなければ、なおさら運動神経は気にしなくてもいいスポーツです。

 ハードルは高くありません。思ったよりも手軽に始められるスポーツだということを伝えていきたいです。道具もクライミングジムに行けばそこで借りられます。必要なのは動きやすい恰好だけですから。工夫するところがいっぱいあるところも魅力です。登るのが難しいと思っている人が多いと思うんですけど、優しい課題から難しい課題まで幅が広いので、誰もが楽しめると思います」

 スポーツクライミング界のエースとして、またスポーツクライミングを愛する1人の人間として、競技のさらなる普及・発展を願ってやまないが、その一端を担っているのがスポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成金だ。体験教室の実施や、クライミングウォールの整備事業、また大会の開催にも活用されている。楢󠄀﨑選手が複合種目で優勝を飾った、2019年に日本で行われた世界選手権もその一つだ。支援への感謝の想いを胸にしながら、こう続ける。

「スポーツクライミングはこれから(競技力が)どんどん伸びてくる競技だと思います。僕たちが今強いだけだと、ここで(日本の)クライミング自体が終わってしまう。これから次の世代がどれだけ強くなれるかが重要です。様々な形で支援していただけるのはすごくありがたいことです」

 これまでも、そしてこれからも――。自らの役割も理解している。

「男子としては僕が、成績も出し続けているので、これからも競技を引っ張っていかなければと思います」と言葉に力を込めた。もともと困難に挑戦することが好きだという青年は目を輝かせながら言う。

「ワクワクするじゃないですか。競技中に、誰も登れない課題で、自分に回ってくると楽しみです。自分だけが登ると会場はどんな雰囲気になるんだろうって。自分だけが登れたら、めちゃめちゃ気持ちいいですね」

 半年後に迎える東京オリンピック。大観衆の視線を一身に浴びながら壁に向かう。そして最高の瞬間を迎える――。そんな思いを胸に秘めながら、日々、目の前の高い壁と向き合い続けている。

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楢󠄀﨑 智亜ならさき ともあ

1996年6月22日、栃木県生まれ。小学校5年生から競技を始める。2012年からワールドカップに出場。ボルダリングでは2016年と2019年はともにワールドカップ年間優勝、世界選手権優勝。2019年の世界選手権で日本人史上初の複合優勝を飾り、東京オリンピックの代表に内定している。TEAM au所属。

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Q1

本記事を読んで、スポーツくじ(toto・BIG)の収益が、日本のスポーツに役立てられていることを理解できましたか?

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スポーツくじ(toto・BIG)の取り組みに共感できましたか?

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