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ロンドン五輪準決勝で負けた夜 ミスした扇原貴宏の部屋を大津祐樹がノックした

サッカーJ1横浜F・マリノスのFW大津祐樹とMF扇原貴宏が「THE ANSWER」の単独インタビューに応じた。昨季15年ぶりのリーグ優勝に導いた2人が出会ったのは、ロンドン五輪予選。当時の互いの印象から、本大会の準決勝・メキシコ戦で扇原がミスして敗れた日の夜、大津が扇原の部屋を訪れた秘話も披露。知られざる2人の絆とは――。

単独インタビューでロンドン五輪の秘話を明かした大津祐樹(左)と扇原貴宏【写真:窪田亮】
単独インタビューでロンドン五輪の秘話を明かした大津祐樹(左)と扇原貴宏【写真:窪田亮】

大津祐樹×扇原貴宏、横浜FMのロンドン五輪代表コンビにインタビュー

 横浜F・マリノスに在籍する大津祐樹と扇原貴宏は、ともにチームの中心選手として欠かせない存在だ。

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 20代半ばの選手が多く在籍するチームにあって、3月24日に30歳の誕生日を迎えた大津は年長クラスだ。しかし、アグレッシブなプレースタイルに陰りは一切なく、練習から全力で臨む姿勢がチーム全体に好影響を与えている。

 扇原は優勝した昨季に続いて主将を任されるチームの軸だ。もともと定評のあった高いテクニックに加え、近年は攻守両面で重厚感が増しつつある。喜田拓也とのダブルボランチは鉄板コンビと言ってもいいだろう。

 両選手はメダル獲得を目指したロンドン五輪で共闘した旧知の仲でもある。

ロンドン五輪に出場した大津(後列左から1人目)と扇原(同4人目)【写真:Getty Images】
ロンドン五輪に出場した大津(後列左から1人目)と扇原(同4人目)【写真:Getty Images】

 2012年のロンドン五輪といえば、銅メダルを獲得した1968年のメキシコ五輪以降で、日本がメダルに最も近づいた大会として記憶している人も多いはず。

 2人が出会ったのは、その予選を戦っている最中だった。

 ドイツ・ブンデスリーガのボルシアMGに所属していた大津は当時の五輪代表では珍しい“海外組”としてチームに合流。超一流プレーヤーたちと日常的にしのぎを削っている選手を「ひと味違った」と表現したのは扇原だ。

「どちらかというと華麗なプレーをするのかなというイメージでした。でも実際に同じチームでプレーをしてみたら、とにかく球際が強くて、泥臭さがある。欧州でプレーしている選手の勢いを肌で感じることができて、とても刺激を受けました。大津くんは学年的にも中心選手だったし、チームの士気が上がったことをよく覚えています」(扇原)

 対する大津も扇原の存在を鮮明に記憶していた。2学年違う2人は10代の頃から異なる世代別代表チームに招集されていたため、顔馴染みではなかった。

「正直に言うと、タカ(扇原貴宏)のことをあまり知らなかったんです。でも最初にチームに合流して最初に、上手いヤツがいるな、と感じたのがタカ。1つ上の世代の選手に混ざっても普通にプレーできているし、本大会中もずっと高いパフォーマンスを出していました」

 当時の五輪代表は前評判が高かったわけではなく、むしろ辛辣な見方をする国内メディアも多かった。そんな状況に、選手たちが燃えないわけがなかった。

 8年前の記憶が走馬灯のように浮かぶ。

「自分たちがすごいチームではないことは、戦っている自分たち自身が一番よく分かっていた。だからこそ一人ひとりがもっと走って、とにかく戦おうと決めました。評価をひっくり返して日本中を驚かせてやろう、と」(大津)

 オーバーエイジとして加わった吉田麻也や徳永悠平が、若い選手たちが力を発揮しやすい土壌を作ったことも大きかった。

「大津くん、(鈴木)大輔くんあたりが中心になって、オーバーエイジの選手たちがその土台をしっかり支えてくれるような良いチームでした。僕は若かったこともあって初戦の前は人生で一番緊張していたけれど、のびのびプレーできる環境をみんなに作ってもらいました」

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