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「日本にも負けないはず」 西野朗を招聘したタイの英雄、母国サッカー発展への確信

前日本代表監督の西野朗氏がタイ代表監督のオファーを受けた背景には、ヴィタヤ・ラオハクル氏の後押しがあったとの報道があった。

サッカーはタイでも大きな盛り上がりを見せている【写真:Getty Images】
サッカーはタイでも大きな盛り上がりを見せている【写真:Getty Images】

日本やドイツでプレーしたタイ代表の英雄ヴィタヤ氏

「組織と育成がしっかりすれば、決して日本にも負けないはずなのに」――ヴィタヤ・ラオハクル(元タイ代表監督、ガイナーレ鳥取監督ほか)

 前日本代表監督の西野朗氏がタイ代表監督のオファーを受けた背景には、ヴィタヤ・ラオハクル氏の後押しがあったとの報道があった。

 ヴィタヤ氏は元タイ代表主将の名手で、代表54キャップを記録。1977年から78年まで所属した日本サッカーリーグのヤンマー(現セレッソ大阪)を経て、ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンなどでプレーした。引退後はガイナーレ鳥取で監督を務めた経歴を持ち、物心ついてから12歳までを大阪で過ごした長男は、すらすらと漢字も書くそうだ。

 タイの英雄だったヴィタヤ氏の活躍は、まるで現在Jリーグでのチャナティップ(北海道コンサドーレ札幌)を思わせるもので、日本を代表するストライカーの釜本邦茂氏や中盤のテクニシャン、ネルソン吉村(後に吉村大志郎=故人)との連携で圧倒的な存在感を示した。

「タイでサッカー選手は俳優並みに有名だから、妻はいつも僕に注意してきた。きちんとした服装をして、綺麗なマナーで食事をするように、とね。その点、日本で暮らすのは楽だった。現役の頃は、大阪でよく釜本さんをラーメン屋に誘って嫌がられた。僕はゆっくり食べられるけど、釜本さんはすぐにサインを求められたからね」

 ヴィタヤ氏は、ドイツで6シーズンを過ごし、現役時代に指導者資格を取得した。

「1980年代のタイは、テクニックや状況判断なら日本より上だったかもしれない。ただし日本のほうがフィジカルが強く、練習メニューも豊富だった。タイにはしっかりとした指導理論がなかった。だから帰国した時に役に立つようにと、ドイツで現役を続ける間にC級とB級の指導者ライセンスを取得した」

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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